11月1日、東京・歌舞伎座で「吉例顔見世大歌舞伎」が開幕しました。
ところで、11月の歌舞伎座興行にはなぜ"顔見世"と付くのか知っていますか?
その起源は江戸時代に遡ります。
当時、座元と役者の契約期間は1年で、向こう1年この顔ぶれでやりますよ、と観客にお披露目する"顔見世"興行は一大イベントでした。
けれども時代の変化とともにそうした習慣がなくなり、一時期途絶えていましたが、昭和32年に歌舞伎座の"顔見世"が復活します。
それから60余年、今ではすっかり秋の風物詩となった顔見世興行。
その昼夜の舞台を観劇してきました。
当月は、昼の部『研辰の討たれ』『関三奴』『髪結新三』、
夜の部『菊畑』『連獅子』『市松小僧の女』の6演目を上演しています。
さて、『研辰の討たれ』と聞くと、演劇ファンなら野田秀樹が十八代目勘三郎(当時は勘九郎)と創った『野田版 研辰の討たれ』を思い浮かべる方も多いでしょう。
今月歌舞伎座で上演しているのは、作・木村綿花、脚色・平田兼三郎の言うなればオリジナル版"研辰"です。
この作品、上演機会はそれほど多くなく、歌舞伎座での上演は今から37年前の昭和57年以来となります。
物語は、元町人で研屋の守山辰次が殿様にうまいこと取り入り、武士に取り立てられたものの、元来の自分本意な性格と口達者が災いし、家老の逆鱗に触れてしまいます。家老への遺恨から騙し討ちで殺したあげく逃亡してしまう辰次。
親を殺された家老の息子たちは、仇討ちをすべく辰次を追って旅に出る。
かくして辰次の運命は、、、というお話。
なりふり構わず逃げ回る辰次の行動がコミカルに描かれているので、喜劇として見れば笑える場面が随所にあります。
一方で、武士の矜恃であったり、仇討ちを見物する群衆心理の怖さなど、何が正しくて何が間違っているのか、善悪だけでは語れない観る側に問いかけを残すような側面もあるちょっと変わった作品です。
辰次を演じるのは幸四郎。
7年前に大阪松竹座で勤めているので2度目の挑戦です。
臆病者で卑怯者という好感度ゼロに等しい男をどう演じるかでドラマの見え方が大きく変わりそうですが、幸四郎は徹底的に"生"に執着する姿を笑いに転換させ、憎めない辰次像を創り上げていました。
特筆すべきは幸四郎の"オモシロ"へのこだわり。
ザ・ドリフターズ好きを公言しているだけあって、そこまでやるの!?と思うような場面も多々あり。
汗だくで奮闘している姿に思わず"アッパレじゃ!"と声援を贈りたくなりました。
『研辰の討たれ』
左より平井才次郎=坂東亀蔵、守山辰次=松本幸四郎、平井九市郎=坂東彦三郎