彩の国さいたま芸術劇場で2006年に設立された高齢者だけの演劇集団、さいたまゴールド・シアター。さまざまな仕事にエネルギーを注いだ故・蜷川幸雄が、晩年となった10年をかけて格闘したのが、演技経験がほとんどない高齢者を俳優として舞台に立たせる取り組みだった。その甲斐あって、2013年以降は世界各地の演劇祭に招聘され、上演地で絶賛を浴びるまでになった。その新作『薄い桃色のかたまり』が開幕。作・演出の岩松了に詳細を聞いた。
「これまで2作、ゴールドに戯曲を書き下ろしているんですけど、どちらも蜷川さんが演出をしてくれました。今回もその前提で話が進んでいましたが、それが叶わなくなり、僕自身が演出もすることになりました」
その2作とは、ゴールドの本格始動となった2007年の『船上のピクニック』と、2011年の『ルート99』。ゴールドは、主に日本の現代劇作家の戯曲を上演してきたが、書き下ろし作を複数という形で関わったのは岩松のみ。自身以外の作品でも、公演がある度に足を運ぶなどして、メンバーについては少なくない知識がある岩松は、ごく自然に、今回の演出も引き受けることになったという。
「ゴールドの魅力は......極端な言い方をすると、ルール違反だと思っているんですよ(笑)。たとえば僕の最近の仕事で言うと『少女ミウ』という作品があって、それは若い俳優が中心だったんですが、役者たちはみんな純粋なんです。せりふに必死に取り組むし、作品全体が成功するように全力で向かっていく。そうしなければ殴られるぐらいの緊張感があったわけで、まあ、普通はそれが舞台をつくるということなんですけど。でもゴールドではその方法は通じない。せりふを覚えられない人、スムーズに動けない人が大半というのが前提になっていますから」
やる気の問題ではなく、自然の摂理として、人間は老いると体の可動範囲が狭くなり、声も出にくくなり、記憶力が低下する。過去の公演でも、せりふが出てこなくなった時のため、客席に蜷川を筆頭にしたプロンプターが控え、メンバーをサポートしたことがあったが、不思議なことに全体の印象が損なわれることはなく、むしろそれは些細なことだと思える大きな感動が、ゴールドを観たあとは残った。
「そう、それを考えると、純粋なものばかりが演劇とは言えないと気付かされるんです。不純もまた演劇だと考えていくと、こっちがそれを許容できるかどうかという問いになって返ってくる。言ってしまうと、そもそも演技が下手なんです。でも、上手くて不純な俳優はたくさんいて、そういう人は技術が鼻について"もういいよ"という気分になりますけど、ゴールドは下手で不純だから、むしろある瞬間にすごいおもしろみが生まれる。逆転の可能性があるわけです。もちろん稽古中にもそれは生まれていて、そういうのを観ていると、下手だから意味があるんじゃないかとさえ思えてくるんですよ(笑)」
『薄い桃色のかたまり』は、避難指示が解除された福島のある区域を舞台に、重く速度を増していく世間の無理解と無関心、人間がいなくなった町を侵食する自然、協調することに疲れた地元の人々、それらの不協和音に翻弄される若者の恋などが描かれる。
「『少女ミウ』も被災地の話でしたけど、テレビ番組が出てきたり、もうちょっと抽象的でした。この作品は、地震で途切れた線路をつくる人たちがいて、町があって、そこに暮らす人の家があってと、より地面を踏まえて書いている感覚があります。その違いは、蜷川さんとの仕事ということが影響しています。というのは、蜷川さんは人間がどこに立たされているかという、場所に対する強い意識を持っていた。逆に自分はそこが曖昧で、人間関係の過激さに走る傾向がある。それを考えた時に、具体的な土壌、社会問題をはらんでる土地に立っている人たちの物語を蜷川さんに託そうという思いがありました」
執筆のために2度、福島に取材に出かけ、地震から何年も経つのに、津波でひしゃげた家がそのままだったり、かつて桜の名所だった通りに行っても、満開なのに地元の人がほとんどいなかったりという光景を目にして、帰ってきたくても帰れない人が多数いることを実感した。「入ってくる情報が生々しく、それらにリアクションする形で、話を書き進めていった」という。
かつては、理由を言わず何時間も同じせりふを繰り返させた鬼の演出家は「僕もだんだん体力が無くなってきて、そうそう厳しい演出はできなくなりました。こっちの老いと彼らの老いが、2本の川がひとつになるようにうまく出合ったのかも。老老介護ですよ」と笑った。
多くの人が、遅かれ早かれ経験する老い。この厄介なものの正体を、演劇を通して過激かつチャーミングに教えてくれるさいたまゴールド・シアター。66歳から91歳までのメンバーが、岩松の舵取りでどこまで行き、私たちにどんな光景を見せてくれるのだろうか。
めぐろはづき