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"演劇と音楽の融合"を掲げ、演出家・鈴木勝秀と音楽家・大嶋吾郎が長年にわたる実験と研究の末に築き上げてきた、新感覚の朗読×音楽ライブスタイル──"Reading Rock"。今回は""をテーマにした冒険譚2作品を、天王洲 銀河劇場にて2週にわたって連続上演する。

7月4日(金)~6日(日)に上演されるのは、アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフトの小説『ガリバー旅行記』を原作とする『ガリバー』。<小人の国><巨人の国><空中浮遊国><馬の国>という4つの国を旅したガリバーの物語が、ユーモアと鋭い風刺を交えて描かれる。そして711日(金)~13日(日)には、フランスの作家ジュール・ヴェルヌによる長編小説を原作とした『月世界旅行』を上演。月面到着を夢見る男たちの情熱と突き抜けた想像力を、ロックサウンドがさらに鮮やかに彩る。

『ガリバー』では若き医師であり探検家・ガリバー、『月世界旅行』では月を目指す熱き青年インピー・バービケインを演じるのは林翔太。数々の舞台を経験してきた林にとって、意外にも今回が初めての朗読劇となる。作品の魅力、そして挑戦への想いを語ってもらった。

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――初挑戦となる朗読劇。出演が決まったときのお気持ちはいかがでしたか?

林 同年代の俳優仲間や事務所のメンバーが朗読劇に出演する話をたくさん聞く中で、やっと自分にも機会がきたんだと、素直にうれしかったです。ラジオドラマに出演したことはあるので、"台本を読みながら演じる"という意味では経験があるのですが、朗読劇を観たことはなくて。正直なところ、「セリフを完璧に覚えなくてもいいのかな?」なんて、楽観的なイメージを持っていたんです(笑)。普段は稽古初日までに全部覚えて臨むタイプなんですが、今回はスズカツ(鈴木勝秀)さんから「覚えなくていいよ」と言っていただいたので、ちゃんと言えるレベルまで読み込んだうえで、覚えずに稽古に行きました。逆にそれが新鮮で、「本当にこれで大丈夫かな?」って、ドキドキしましたね(笑)。

――新しい感覚の稽古だったんですね。今(取材は6月下旬)、稽古は何日目ですか?

林 3日前から始まって、今日が稽古場の最終日です。

――朗読劇ならではの短期間稽古も、新鮮なのでは?

林 初めての感覚です。以前のラジオドラマのときも、稽古は2回くらいだった記憶があるので、「あ、こういうものなんだな」と思いました。でも今回は2作品分の稽古があるので、そのぶん密度は高いですね。

――『ガリバー』が初週、『月世界旅行』が翌週の上演ですね。

林 はい。最初の2日間は、それぞれの作品の読み合わせをしました。昨日はバンドの皆さんと合流して、『月世界旅行』の音の入り方や、どのセリフがきっかけになるのかを確認して。今日は『ガリバー』のほうを、音楽と合わせます。

――『ガリバー』と『月世界旅行』、それぞれのキャラクターに扮したキービジュアルも印象的です。特に『月世界旅行』のバービケイン役は、紫の髪にリップとネイルという大胆なビジュアル。撮影時のエピソードはありますか?

林 『ガリバー』は自分に近い見た目だったんですけど、『月世界旅行』のビジュアルを見たときは「誰!?」って(笑)。紫のウィッグにリップ、ネイルまで塗って、ガラッと変わった自分に最初は驚きました。でも不思議とすぐに見慣れてきて、気持ちも高まりましたね。

――では、それぞれの役についても教えてください。まず『ガリバー』から。

林 僕が演じるガリバーは、好奇心が旺盛で、旅が好きで、複数の言語も話せる人物。旅行にあまり行かない僕とは真逆ですね(笑)。物語は、彼が4つの国を旅した経験談を語る構成なんですが、バラエティ番組で「こんなことがあったんですよ~」って話すイメージで、なるべく自然に、素に近い感覚で演じています。

――セリフ量も相当ですよね。

林 はい、びっくりしました(笑)。僕、普段は台本にマークをつけないんです。自分のセリフに蛍光ペンで線を引くと、そこだけしか覚えられなくなりそうで。いつもは他の人のセリフも含めて、全部覚えるつもりで向き合っているんです。でも今回はさすがに蛍光ペンを使いました(笑)。本番の照明を考慮してピンクを選んだんですが、台本の半分を超えたあたりで1本使い切ってしまって。念のため2本買っておいて良かったです(笑)

――蛍光ペン1本使い切るなんて...(笑)! では、『月世界旅行』で演じるインピー・バービケインはいかがですか?

林 彼もかなり好奇心旺盛ですね。物語の始まりは戦争の話から。南北戦争が終結し、兵器の需要がなくなったアメリカで、バービケインはもっと高度な砲弾を作りたいという情熱から、月への発射計画を立てるんです。すごい行動力ですよね。僕自身も宇宙には興味があるので、「そうなんだ」と思う知識が台本にたくさん出てきて、読んでいて楽しいです。

――鈴木さんは、バービケインたちの行動を"フロンティア精神"と表現されていました。

林 そうですね。命懸けで未知に挑んでいく感じは、うらやましくもあり、ちょっと怖くもあり...。もし「宇宙に行ける」ってなったら、「死んでもいい」と思えるのかもしれないなぁ。でも、僕は飛行機に乗るときも毎回ちょっと覚悟してますから(笑)。何が起こるかわからないですし。

――絶対安全ってわけじゃないですもんね(笑)。だから旅行も控えめに?

林 そう、飛行機に乗らずに行ける場所を選びがちです(笑)。

――そんな林さんが『月世界旅行』ではロケット砲弾に乗って月を目指すという、かなりスケールの大きな旅に出るんですね。

林 そうなんですよ(笑)。実際、ロケット砲弾の中ってどんな感じなんだろう? って想像しながら演じるのも面白いです。

――演出の鈴木勝秀さんから演技に関する指示はありましたか?

林 明確な指導というより、「あまり役を作り込まなくていい」と言われました。まず『ガリバー』についてですが、台本を読んでみて、ガリバーというキャラクターは"芝居芝居"していないほうがいいなと感じたんです。だからナチュラルに読んでみたら、スズカツさんが「すごくいいね」と言ってくださって。そこで方向性が決まりましたね。『月世界旅行』は物語のスケールも大きいし、月面着陸を目指す話なので、もう少し"芝居寄り"になるかと思っていたんですが、こちらも「毎回、自由に演じていいよ」と言われて。結果として、がっつりした演技指導が入ることはなく、感覚を大事にさせてもらっています。

――共演される田村雄一さんと細見大輔さんは、2022年に上演された『月世界旅行』(主演:塚田僚一)にも出演されていました。田村さんはバービケインに敵対心を抱くニコル大尉役、細見さんは助言を与えるフランス人ミシェル・アルダン役です。おふたりと何か会話はされましたか?

林 本当に自由に演じていらっしゃるおふたりで、いろんな声色を使っていて。僕も自然と引っ張られて、いろいろ試しています。「前回はこういうふうにやっていたよ」と教えてくださったり、「ここで何か振るかも」なんてアドリブを予告してくださったり(笑)。皆さんが初演で作り上げてくださった土台があるからこそ、「ここは遊んでいいんだな」と、僕もすぐに掴むことができました。

――"声色"の幅は、やはり経験によって培われたものなのでしょうか?

林 どうなんでしょうね? でもこれまでに女性役やおじいちゃん役を演じることもあったので(笑)、気づいたらいろんな声を出せるようになっていたのかもしれません。

――ご自身の声については、どんなふうに感じていますか?

林 好きか嫌いかで言えば...特別好きではないかな、嫌いでもないけど(笑)。「大好き」とは胸を張って言えないです。喋っているときに自分の耳に届く声と、録音した声ってまったく違って聞こえるじゃないですか。初めて歌をレコ―ディングしたときは、自分で聴いて「うわ、こんな声してるの!?」ってちょっと衝撃で。でもさすがに今は慣れました(笑)。

――そんな中でも、"声で表現する"ことには楽しさを感じている?

林 感じますね。僕は、わりとナチュラルなお芝居が好きなので、大げさな身振り手振りよりも、声のトーンやニュアンスを変えて表現するほうが性に合っている気がします。だから、今回みたいな朗読劇はすごく楽しいです。

――ちなみに、鈴木さんとご一緒するのは今回が初めてなんですね。

林 はい、初めてです。

――初対面の印象はいかがでしたか?

林 じつは、勝手に「厳しい方なんじゃないか」と思っていたんです。何度もお世話になっている演出家さんから以前にお名前を聞いたことがあったので、この作品の出演が決まったときに「スズカツさんって、どんな方ですか?」ってメールしたんですよ。そしたら「特殊ですが、私は大好きな演出家です」と返ってきて(笑)。

――実際に会ってみて、印象は変わりましたか?

林 とても話しやすい方でした。スズカツさんのほうからいろいろ話しかけてくださいますし、僕も気になることがあればすぐに聞ける雰囲気で、すごくありがたいです。

――その「特殊」という点については...

林 今までも"特殊な方"とはたくさん出会ってきたので...(笑)。冗談はさておき、「ちょっと変わってるな」と思うより、「この方のやり方に自分がどう合わせられるか」を考えるほうで。

――なるほど。鈴木さんに対しても、「台本を読みながら、その場で感じたことを自由に表現してほしい」というスタンスの演出家、という受け止め方なんですね。

林 そうですね。実際、そういう方だと感じています。

――では、音楽についてもお聞きします。大嶋吾郎さんが手がける音楽には、どんな印象をお持ちですか?

林 僕は『ソーホー・シンダーズ』(20192021)でご一緒して以来です。今回はロック寄りの楽曲が多いですが、吾郎さんって本当にどんなジャンルでも作れるんですよ。それに吾郎さんの音楽は、聴いていると想像がどんどん広がっていく感じがして、大好きです。『ガリバー』で言えば、少しスローテンポな楽曲が特にお気に入りで、「このメロディとか、オケで流れてる音、めっちゃいいなぁ」って、毎回しみじみ感じながら歌っています。僕はもともとバンドサウンドが好きで。例えばKinKi Kidsさん。コンサートでは後ろにバンドを入れて、生音で演奏されるじゃないですか。その雰囲気や臨場感が、伝わってくる熱量にすごく心を惹かれます。

――今回も生バンドの中で、歌や芝居ができるのは楽しみですね。では改めて、台本を読んだときの感想を聞かせてください。

林 『ガリバー』は旅のエピソードを通じて、最終的に戦争の話に着地していく構成なんですが、現代とリンクする部分も多いと感じました。後半に、人間が兵器を作る愚かさについて、ガリバーが長ゼリフで語りかける場面があるんです。感情を前面に出して熱く語ることもできると思うんですが、本読みではあえて淡々と冷静に話してみたら、スズカツさんに「すごくいい。ちゃんと戦争について考えていることが伝わってきた」と言っていただけて。でもこれは、「こう演じよう」と狙って作ったわけではなくて、台本を読んで自然と湧いてきた感覚をそのまま出しただけなんです。僕と同じように、お客さんにも何か感じ取ってもらえたら嬉しいですね。

――終戦の8月を前にした7月という時期に、戦争について考えるきっかけがあるのは意義深いと思います。林さんご自身としては、朗読劇に初挑戦する中で課題に感じていることや、吸収したいことはありますか?

林 普段の舞台では稽古を重ねるうちに、「この場面ではこういう感情になる」という""がどんどんできていくんですけど、朗読劇ではそれがあまりないなと感じていて。毎回、微妙にニュアンスを変えて試せるんですよね。前回の通し稽古で真面目に言っていたセリフを、次の通しではちょっとおちゃらけて言ってみたり...そういうトライができるのは面白いです。遊びの余白を見つけていける感覚は、今後の作品にも活かせると思います。

――演技のスタイルとしても、自由度の高さが新鮮なのですね。

林 そうですね。でもそのぶん難しさもあって。僕は相手の目を見て芝居するほうがやりやすいな、と。通常の舞台だと、セットや動きも感情を表現する要素になりますよね。「このセリフでソファに座る」とか、「怒ったら相手の胸ぐらをつかむ」とか。でも朗読劇は"声だけ"で届けるので、本当に難しいなと実感しています。

――セリフを覚えることに慣れている分、台本を持って演じること自体も大変ですか?

林 そうなんです、正直、覚えたほうがラク(笑)。読みながら喋るのって、思った以上に難しいんですよ。あと朗読劇は初めてなので、まだ自分の"ルーティン"が定まっていないのも不安要素で。普段は本番前にひとりで通すのが習慣なんですけど、今回は台本を読んでいい舞台なので、「本番前に何をすればいいんだろう?」って(笑)。1回、早口で全部読んでみるとか...? 何もしなかったら、口が回らなくなりそうで怖いです(笑)。瞬発力も、もう少し鍛えたいですね。

――本番までに林さんの朗読劇ルーティンが決まるのも楽しみにしています(笑)。最後に、公演を楽しみにしている皆さまへ、メッセージをお願いします。

林 朗読劇って、役者が大きく動かず、台本を読みながら演じるからこそ、想像する楽しみがあると思うんです。ガリバーってどんな服を着てるんだろう? どんな見た目なんだろう? 登場人物たちはどんな空間にいるんだろう? そんなふうに、自由にイメージしながら楽しんでもらえたら嬉しいです!

文:豊泉彩乃

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手塚治虫による不朽の名作『ブラック・ジャック』。深い人間ドラマの中には、医療の不平等への批判、人間の尊厳へのまなざし、そして科学と倫理のせめぎ合いなど、多くの社会的テーマが息づいている。そんな医療マンガの金字塔が、演出・栗山民也、脚本・鈴木聡、音楽・笠松泰洋という豪華クリエイター陣の手によってミュージカル化。"命の価値"を真正面から問いかけるミュージカル『ブラック・ジャック』が、628日に幕を開ける。

天才的な腕を持つ孤高の外科医・ブラック・ジャック役に坂本昌行。18年間、双子の姉の体内に存在していた畸形嚢腫(きけいのうしゅ)からブラック・ジャックによって人の姿に生まれ変わったピノコ役に矢吹奈子。安楽死専門の医師ドクター・キリコ役には味方良介、謎の拒食症に悩む女優・真理子役を大空ゆうひ、真理子の叔父で医師の白川役に今井清隆と、錚々たる実力派がそろい、重厚なテーマを歌と演技で浮かび上がらせる。

今回、ブラック・ジャックの助手であり、家族のような存在でもあるピノコ役の矢吹奈子のインタビューが到着。ミュージカル初挑戦となる彼女が、稽古の中で何を感じ、どんな思いでこの役に向き合っているのか──その胸の内を聞いた。

 

――現在(取材は6月中旬)、まさに稽古の真っ最中だそうですね。
矢吹 歌稽古は5月から始まって、最近は通し稽古に入りました。一昨日にはバンドの皆さんも合流してくださって。その日がちょうど私の誕生日だったんです。バンドの生演奏に、共演者の皆さんの美しい生歌でお祝いしていただいて...。特に"きよさん"(今井清隆)のハモリが本当に素晴らしくて! 幸せな時間でした。

――最高の雰囲気で稽古に臨めているんですね。
矢吹 はい。本当に素敵なカンパニーです。

――ミュージカルへの出演は、今回が初めてになりますね。
矢吹 はい。オーディションを受けさせていただいて、合格の知らせを聞いたときは本当にびっくりしました。

――稽古に取り組む中で、心境の変化はありましたか?
矢吹 最初の読み合わせでは、どんなふうにピノコを演じればいいのか全くわからず、探り探りでした。自分なりに模索する中で栗山(民也)さんに演出をつけていただき、「だんだんピノコらしくなってきたね」とスタッフさんにも言っていただけるようになり、何となく感覚を掴んできたかな、と思っています。

――現時点での、ピノコ像"をどう捉えていますか?
矢吹 どんな場面でも、ピノコがいることで空気が和らいだり、癒されたりするような空間を作れたらと思っています。いい意味で、場の空気を壊すような存在といいますか。ピノコは自分の気持ちにとても素直な子なので、その自由さをしっかり表現していきたいですね。

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――栗山さんから印象的だったアドバイスはありますか?
矢吹 「ピノコはブラック・ジャック先生によって形成された子で、人間ではあるけれど"完成形"ではない。成長しきれていない部分もあるから、"普通の子"ではダメなんだよ」とおっしゃっていたのが、とても印象に残っています。実際に栗山さんが「こういう言い方で」と演技を見せてくださるんですが、それが本当に素晴らしくて...! みんなで「ピノコが憑依してる!」と言っているくらい(笑)。そのお芝居を参考に「どうしたら私もああいう演技ができるんだろう?」と考えながら、日々ピノコを作り上げています。

――"完成形じゃない完成形"を目指す...とても繊細な作業ですね。
矢吹 そうなんですよね。歌に関しても、稽古の序盤に「うまくなっちゃダメだよ」と言われて驚きました。初めてのミュージカルで、歌の面でもとても緊張していたんです。アイドルとして歌ってきた経験はあるけれど、ミュージカルの発声は全く違うじゃないですか。だから「うまくなっちゃダメ」と言われたときは「あ、そうなんだ...!」と(笑)。あえて音程を少し外したり、リズムに合わせずに遅らせて歌ったり、踊ったり。身体に染みついた感覚と違うことをやるのは難しいですが、そこも面白い部分ですね。

――初挑戦で、挑むことがたくさんあるのですね。
矢吹 私、無意識なんですけど、歩くだけでも音に合ってしまうみたいなんです(笑)。今はその"無意識"を手放すことに取り組んでいて。大変ですが、今までと全く違うアプローチなので楽しいです。

――アイドルとしての歌との違いも感じているのでは?
矢吹 全然違いますね。アイドルの歌は、何よりも"リズムに合わせること"が大事で、特に(IZ*ONEのメンバーとして)韓国で活動していたときは、ガイドボーカルに限りなく近い形で歌うのが基本だったんです。とにかく聴き込んで"完コピ"するというか。でもミュージカルでは、歌詞を"言葉"として、"セリフ"として届けることが求められる。アイドルのときも歌詞を大切にしていたつもりでしたが、ミュージカルでは、より物語の一部を歌が担っていると感じます。リズムを優先するという考え方とは違うので、最初はかなり苦戦しました。

――苦労も多い一方で、新たな発見もあったのではないでしょうか?
矢吹 はい。稽古中の歌唱練習に加えて、栗山さんにご紹介いただいたボイストレーナーの方のもとでレッスンを受けています。そこで、息の吸い方や整え方をイチから学びました。歌は、""が本当に大事で。普段は引き気味に話すことが多いですが、歌では声をしっかり"前に出す"必要があると教えていただきました。そのためのテクニックを、今まさに学んでいるところです。

――その中で、逆にアイドル時代の経験が活かされていると感じた部分はありますか?
矢吹 ステージ上の立ち位置の感覚ですね。舞台には番号が振られているんですけど、動きながらでも自然と「今ここが何番だな」ってわかるんです。あの音までにここへ移動しなきゃっていう計算も、身体が勝手にやってくれている感じで(笑)。

――まさに"経験値"ですね。劇中で披露する楽曲についても教えていただけますか?
矢吹 ピノコは元気で明るい子なので、そういう曲が多いのかなと思っていたんですが、そういうわけでもなく。約2時間の物語の中で描かれるピノコの成長に合わせて、彼女の内面や想いを表現したナンバーもいくつかありますよ。

――さまざまな表情の"歌声"が聴けそうですね。
矢吹 はい、ぜひ楽しみにしていてください!

――共演者の皆さんも、歌唱力の高い方ばかりです。
矢吹 本当に皆さん、迫力がすごすぎて......! 稽古場にいるのに、まるで本番を観ているかのような感覚になります。特に、きよさんの声量には圧倒されました。稽古前に「あ〜」と軽く発声されるだけで、ものすごく響いていて! 近くでコソコソ話なんてできません(笑)。「私もいつかこんなふうになりたい!」と、毎日憧れながら見させてもらっています。あと、先日、私が歌っていたパートで「この部分、ちょっと聞き取りにくいからセリフに変えようか」と提案があって。その後、振り付けと合わせて練習していたら、大空(ゆうひ)さんが「こういう感じでポーズをつけてみたらどう?」とアドバイスしてくださったんです。宝塚(歌劇団)で長年活躍されてきた方のすごさを改めて実感しましたし、もう、ずっと大空さんのことを見てしまいます(笑)。

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――ブラック・ジャックを演じる坂本昌行さんの印象はいかがですか?
矢吹 ブラック・ジャック先生が3曲ほどをつなげて歌う場面があるんですが、毎回そのシーンに感動しています。感情がしっかり込められていて、先生の想いがまっすぐに伝わってくるので、心が揺さぶられます。

――おふたりで歌うシーンもあるのでしょうか?
矢吹 はい。最初に合わせたときから、違和感なく歌えたんです。歌唱指導の方からも「グループ活動を経験してきたふたりだからか、お互いの呼吸を感じながら歌えていて良かった」と言っていただけて。

――自然な調和があったのですね。
矢吹 そうなんです。この前の通し稽古でも印象的なことがあって。坂本さんに確認したい部分があって、ちょうどタイミングができたので、小道具のコップを持ったまま(笑)、坂本さんのもとへ歩いていったんです。そしたら、坂本さんも同じことを考えていたみたいでバッタリ遭遇して。「あ、ピノコとブラック・ジャックだ!」と感じた瞬間でした。

――まさに! その空気感をより磨いて、ステージ上に持っていけたらいいですね。
矢吹 はい。坂本さんと一緒に踊るシーンもあるんですが、そこはもう完全にお任せしています(笑)。もし私が早く立ち位置についてしまっても、坂本さんが引っ張ってくださると自然と音にハマることがわかっていて。なので安心して、全部預けて(ポーズを取り)待っています(笑)。

――おふたりのコンビネーションも見どころになりそうですね。さて、『ブラック・ジャック』は"命の価値"を問いかける、深いメッセージ性を持つ作品だと思います。矢吹さんは、台本からどのようなことを受け取りましたか?
矢吹 題材となっているのは"生と死"。ピノコは、ブラック・ジャック先生のおかげで命を得た存在だからこそ、"生きている"ことへの感謝を強く感じている子なんです。その"生きる楽しさ"を、(大空ゆうひ演じる)真理子さんに伝えていく場面があって。そのピノコの姿を通して、観てくださる皆さんにも「生きていることは当たり前じゃない」と、改めて感じてもらえたら嬉しいです。もちろん、"生きることの楽しさ"もお伝えできればと思っています。

――ピノコを通して、""について考えるきっかけになる物語ですね。
矢吹 物語の中で、ピノコが周囲の人たちに"みんな生きている理由"を尋ねるシーンがあるんです。それぞれの答えを聞いて、ピノコ自身も何かに気づいていく。そのやりとりがとても印象的で、いろいろなことを考えさせられる場面だなと思っています。

――そんなミュージカルを携えて、全国6都市を巡回します。
矢吹 兵庫公演を除いては各地1日公演なので、お会いできるお客様は限られてしまうかもしれませんが、それでも全国をまわって、多くの方に『ブラック・ジャック』を届けられることが本当に嬉しいです。

――では最後に、公演を楽しみにしている皆さまへメッセージをお願いします。
矢吹 今回が初めてのミュージカル出演なので、開幕を前にドキドキが募るばかりですが...物語が始まれば、自然とセリフが出てくるように、ピノコとして生きられるように頑張ります。観に来てくださる皆さんにとって、"生きること"について改めて考えるきっかけになったら嬉しいですし、何かひとつでも心に残るものを持ち帰っていただけるよう、私も全力で舞台に臨みたいと思います。

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文:豊泉彩乃/ヘアメイク:舩戸美咲

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この若さで、こんなに馬力のある役者がいるんだな。未来は明るい。――朴璐美は舞台『キングダム』で牧島 輝と共演し、そう感じたという。また『キングダム』の脚本も手がけた藤沢文翁と共に山路和弘主体の芝居を創ることを考えるなかで、複数の案の中から最終的に"晩年の宮本武蔵"が題材となった。

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 宮本武蔵は、剣豪であり、水墨画や書物にも秀でた添付の才を持ち合わせた人。しかし運に見放されていたがゆえに、実はその時代に名を馳せることができなかった。しかも資料を調べてみると、生年、名前、実績と、はっきりしないことが多すぎる。なのに今現時代の我々が剣豪宮本武蔵の名を知っているのはなぜなのか。老いた宮本武蔵とその弟子である養子の伊織を通して人間 宮本武蔵を描いてみたいという藤沢さんとの話から再発起しました。

山路 宮本武蔵なんて自分から一番程遠いし、最初は拒否していたんですけど。吉川英治さんの(小説で描かれた、現在では一般的な)イメージじゃない武蔵を描くとどんな芝居になるのか、想像がつかなかった。だったらやってみてもいいのかな、なんて思って。

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―伊織役に、藤沢は牧島を希望。朴もそれには同意しながらも、スケジュール的に無理だろうと思いつつ打診したところ、牧島は快諾。山路と牧島の初共演が決定した。


牧島 (取材は稽古2日目)まだ1回目の本読みですけど、山路さんを見ていると背景が見えてくる瞬間があるし、武蔵と山路さんの生き様がにじみ出ている。すごいことだと思いますし、圧も感じました。

山路 武蔵はある意味、剛球一直線で、基本的な方向性は決まっている。でも伊織はいろいろなことを考えながら武蔵に接しているし、屈折もしている。そこが大変だなと思う。

牧島 今の時代の親子とは相当かけ離れていますよね。どこまで言っていいものか、踏み込んでいいものか、精神的にも物理的にも、ある意味本当に命がけで......と、いろいろ考えながら読んでいました。武蔵はもちろん、伊織も常に戦っていて、すごく信念が強い。自分の目で見ながら感じたことを伝えていきたいと思います。

山路 そういう伊織と牧島くんが重なる部分は多い。理解が早くて、役者としてすごく頭が良いんだろうしね。まだ若いし、魅力的であればあるほど嫉妬もするし、若い芽のうちに摘み取りたいという気持ちが湧き上がってくる(笑)。

 これはすごいせめぎ合いが生まれそう。面白いな!

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―また、切り絵作家・下村優介とのコラボレーションによるビジュアルも強い印象を残す。

 武蔵には、影絵や切り絵の"白・黒"っていうイメージがあったんです。それで、もともと作品が好きでツイッターをフォローしていた下村さんにダメ元で連絡をしてみたんですよ。武蔵の、己の剣に、生と死のはざまにこそ真がある、っていう思いと下村さんの作品はリンクする。直感的に思ったことが叶った後に必然を感じるビジュアル創りでした。

牧島 撮影の時、刀が少しでも引っかかったら壊してしまいそうで怖かったですね。でも本当に羽ばたいているように見えるし、同じような形でもまったく同じものはひとつもないし、儚くて繊細で、すごく綺麗でした。

山路 そんな作品を「どうぞ使ってください」って言ってくれるなんて、本当にすごい。作品の中に入って撮影するなんて、そうそうない経験でしたね。

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―これから稽古を通して、ふたりはどのように役柄を、芝居を深めていこうと考えているのだろう。

 

 山路 まだ、頭の中でいろいろ繋がっていないんですよね。この辺にこう出てくるのかな、っていうのは感じるけど、そういう読みってだいたい外れますしね。"罠"がいっぱいある感じで、取り組み甲斐のある脚本ですよ。

 牧島 最初に言葉を発した時に感じたことをそのまま深めていくのか、これは違ったと思って変えていくのか。深掘りしながら楽しんでいきたいですね。

  ふたりはやっていて苦しいでしょうけど、同時に楽しいでしょうね。脚本の藤沢さんが今思っていること、伝えたいこと、山路を見て牧島くんを見て思ったことがこの脚本に落とし込まれているし、"生きる"ことがテーマだと思います。そこを掘り下げていきたい。

 山路 僕の芝居をいつも見にきてくれる人たちは、悪あがきしたり苦しんだりしながら演じているところを観に来ているような気がする。今回の『剣聖』ほどジタバタする舞台は、なかなかないんじゃないかな。

牧島 僕のファンに限らず、演劇が好きで劇場に足を運んでくださる人は、そこに居合わせて何かを目撃したいんじゃないでしょうか。この作品は"まさにそれ"っていう感じ。とても疲れるでしょうけど、すごく見ごたえのある作品だと思います。

 それは間違いない。だって、大舞台であれだけのものを放出できる二人が、サンモールスタジオというコンパクトな舞台で濃密な芝居を見せるわけですよ。これは震えますよね。

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 ―ふたりのエナジーに圧倒されるに違いない舞台は、6月30日より。

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X-White役:中川晃教、マイケル・K・リー、X-Black役 ハン・ジサン、イ・チュンジュ、のインタビューが到着した。

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沖縄のコザ騒動のあった一夜を描く『hana-1970、コザが燃えた日-』が、1月9日(日)東京芸術劇場プレイハウスにて開幕した。沖縄本土復帰50年を迎えるにあたり、関係者たちが丁寧に作り上げてきた作品だ。演出は、沖縄へ思いを寄せ続けてきた栗山民也。脚本は、栗山との再タッグとなる畑澤聖悟。出演者である松山ケンイチらも、実際にコザ市(現在の沖縄市)に足を運び、舞台に臨んだ。

初日前のゲネプロには多くの人が集った。開演前、舞台の頭上にはためくアメリカ国旗だけが照明に照らされ、劇場を見下ろしている。そこは米兵相手のパウンショップ(質屋)兼バー「hana」。米軍基地に通ずる通称・ゲート通りに面していて、米兵達は飲み代が足りなくなると持ち物を質に入れるのだ。

12月20日の晩。hanaを経営するおかあ(余 貴美子)と、娘のナナコ(上原千果)、同居するジラースー(神尾 佑)が談笑している。彼らの話す沖縄弁は、慣れない観客には聞き取れないかもしれない。しかし端々から聞こえる単語や、表情や声音に耳を傾けていると理解できる。まるで沖縄の小さなお店に、実際に訪れたようだ。

その晩、久々にhanaに家族が集まってくる。アシバー(やくざ)になったり家に寄り付かなかった長男・ハルオ(松山ケンイチ)は笑顔ながらも攻撃的で、周囲を翻弄する。しかし演じる松山のかすかな表情や大げさなしぐさからは、抱える孤独や痛みが透けて見える。次男で教師のアキオ(岡山天音)は真面目でしっかりしており、周りに気を遣う好青年だ。しかし岡山が時々見せる困ったような顔や震える声からは、不安や去勢も感じられる。ふたりは血が繋がっておらず、顔を合わせばケンカになる。それは、戦争によって傷つき、いびつさを抱えざるをえなかった家族の姿だ。

終戦から25年経っても、沖縄では戦争は終わらない。hanaの店内にはそこかしこにアメリカのものが並び、異国の空気を感じる。日本からもアメリカからも苦しめられてきた沖縄と、そこで暮らす血のつながらない家族。すべては店の中で起こるワンシチュエーションの会話劇だが、彼らの言葉には、戦争によって虐げられた沖縄の、叫びにならなかった叫びが込められているようだった。

公式noteでは台本の冒頭20ページが公開されている。本作は1月30日まで公演後、2月5・6日に大阪で、10・11日に宮城で上演される。

ハルオ役 松山ケンイチ①.jpgアキオ役 岡山天音.jpgおかあ役 余 貴美子.jpg左から アキオ役岡山天音、ナナコ役上原千果、おかあ役余 貴美子、ハルオ役松山ケンイチ.jpg

取材・文:河野桃子 撮影:田中亜紀

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稽古場は緊迫感につつまれ、今にもなにかが弾けそうだった。

この日の『hana-1970、コザが燃えた日-』の稽古は、クライマックスのあるワンシーン。照明を落とした薄暗い稽古場で、兄弟──松山ケンイチ演じるハルオと、岡山天音演じるアキオ──が向かい合う。二人のいる場所は、実家である嘉手納基地近くのパウンショップ(米兵相手の質屋)&バー『hana』。敗戦から25年経ち、しかし"まだ戦争は終わっていない"沖縄の地で、二人の思いがぶつかる。

演出の栗山民也が台本を片手に舞台へあがり、「この台詞でここに立って」と自分で動きながら立ち位置を指示する。松山と岡山は瞬時に対応し、身体の動きの変化に連動して、声のトーンも変化していく。

また、栗山は「この台詞は立たせて」と声の強弱をつけたり、たとえば小道具を持たせて目立たせたりする。すると、舞台上においてどの瞬間になにが重要になるのかが整理され、俳優たちの会話かスムーズに流れだす。客席側から見ていても、視線がなめらかに誘導されて見やすくなった。

次のシーンでふたたび、栗山が「この台詞でここに立って」と松山と岡山に指示する。すると、二人の立ち位置が最初と真逆になっていた。気づけば、二人の関係性も真逆になっていた。

方言指導にしっかりと時間をかけたそうで、沖縄のイントネーションで話す。なかには本土の人間ではおそらく理解できない言葉も混ざるが、それがまた生々しい。そこに米兵の英語も入り乱れる。壁や床にはアメリカの看板やインテリアがたくさん並び、なんだか陽気で明るい雰囲気もある。けれども同時に、沖縄の冬の暖かさと、汗の臭いと、目には見えない生々しい憤りが渦巻いているようだ。

稽古では、演技、確認、演技、確認......と繰り返される。時には全員で円になり、シーンを振り返りながら、動きや台詞の方向性などを共有する。つねに静かで集中の糸は切れないけが、合間には笑い声もあり、緊張しながらもリラックスしているようだ。

来年は、沖縄返還50周年だ。沖縄やコザのこと、そしてこの日の出来事を知ってもらいたい。脚本の畑澤聖悟は、綿密な取材を重ね、丁寧に作品に反映していく。松山と岡山は実際にコザを訪れ、舞台となった場所を歩いてきたそうだ。

沖縄返還前のある日。アメリカと一触即発の空気のなか、血の繋がらないいびつな家族の行き場のない愛憎が、稽古場に充満していく。

取材・文 河野桃子

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新国立劇場の作品創造プロジェクト「こつこつプロジェクト」の第一期作品『あーぶくたった、にいたった』(作:別役実、演出:西沢栄治)が2021年12月7日(火)から同劇場で開幕した。

同劇場の演劇芸術監督を務める小川絵梨子の肝煎りの企画の一つである「こつこつプロジェクト」。「矢継ぎ早にどんどん作品をつくっていく良さはもちろんあると思うが、作り手によっては、じっくり、時が来た時に舞台にあげるようなシステムができないか」と思案した小川は、公共劇場で、通常1ヶ月程度の稽古期間を1年という長い時間をかけ、〈試し〉〈作り〉〈壊し〉〈また作る〉というプロセスを踏めるようにした。英国のナショナルシアターでの事例などを参考にしたというが、なかなか日本の演劇界ではない取り組みと言えるだろう。

こつこつプロジェクトの第一期には、大澤遊、西悟志、西沢栄治という3人の演出家が参加。それぞれに作品を育て、試演会と協議を経て、この『あーぶくたった、にいたった』が本公演として上演される運びとなった。

1976年に文学座で初演された本作は、別役実の"小市民シリーズ"と呼ばれる作品群の一つだ。

演出の西沢は、今回初めての別役作品に挑んだ。過去のインタビューで西沢は「完全な喰わず嫌いで、ろくに観たこともないのに"あの独特の空気感が面白くない"と決めつけていたところがあるんです」と明かしつつも、「選んだ『あーぶくたった~』はもちろん、参考のためにと読んだ別役戯曲は、どれも本当に演劇的で興味深く、現状とあまりに符合する設定やドラマが多すぎて"予言の書か!"と驚くほど」と語っている。そして、「ひたすら普通に、つつましく生きようとした劇中の名もなき人々に思いを馳せることで、僕らなりの"日本人論"にたどり着きたい」とコメントしている。

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   (左から) 山森大輔、浅野令子 撮影:宮川舞子

公演初日を見た。

舞台には、一本の古い電信柱がスッと象徴的に立っている。雨にさらされて汚れた万国旗が垂れ下がっている。土に埋もれた赤ポストも見える。客入れ時に『チャンチキおけさ』や『世界の国からこんにちは』など、昭和の歌謡曲が流れていて、おおよその時代設定が推察される。

始まりは、山森大輔が演じる男1、浅野令子が演じる女1の婚礼の場面から。新郎新婦は、子どもの頃の思い出話をして、まだ見ぬ子どもの将来などを語り始めるも、会話は思わぬ方向に。楽しい新婚時代、子を持ち落ち着いた生活、そして老境へ―。全10場、人々の"日常"を断片的に切り取りつつ、1時間45分(途中休憩なし)で紡いでいく。

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    (左から) 山森大輔、浅野令子 撮影:宮川舞子

2019年6月に1st試演会、同年8月に2nd試演会、そして、20年3月に3rd試演会を経て、今回の上演に至った。プロジェクトが始まった当初、未知のウイルスがこんなに世界中で広がるとは誰も思っていなかったし、東京五輪が延期になるなんて想像もしていなかったと思う。そんな苦難の時代の中でも"こつこつ"と作りあげ、作品の強度をあげてきた。稽古の過程で、他の別役作品を読むなど"寄り道"も許される限りしてきた。

どこにでもありそうな日常の可笑しみを楽しんでいたら、ふと気がついたときには、大きな物語に飲み込まれて、動けなくなっていく。かつての「小市民」と、今を生きる私たちがどうしても重なり、この不条理に立ち尽くしてしまう。「いいじゃないか、ただ生きてみるだけなんだから......。ね、ほんのちょっとだよ。ほんのちょっとだけなんだから......」。そんなセリフが胸を打つ。雪に埋もれた夫婦の姿は、遠い昔の他人事とはどうも思えない。これが別役実の世界なのか。それとも"こつこつ"積み重ねてきたからこそ、見える景色なのか。

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(右から) 浅野令子、山森大輔、龍 昇、稲川実代子 撮影:宮川舞子

役者もよかった。プロジェクトの各段階に携わった俳優陣からバトンを引き継ぎ、本公演では山森と浅野のほか、龍 昇、稲川実代子、木下藤次郎が出演する。それぞれ舞台経験を十分に持った実力派ぞろいなのだが、いい意味で素朴な雰囲気を醸し出し、絶妙な「小市民」を体現。派手な演出もなく、地味といえば地味なのだが、彼ら彼女らの半生がいい味を出していた。

ちなみに、千穐楽の19日まで本作の戯曲が無料公開されている(https://www.nntt.jac.go.jp/play/bubbling_and_boiling/)​​。予習として読むよりは、終演後に読み返すと、また新しい発見が生まれるかもしれない。

公演は12月19日(日)まで。なお、14日(火)13時公演終演後は、出演者と演出家によるシアタートーク(無料)が予定されている。チケット発売中。

取材・文:五月女菜穂 写真提供:公益財団法人 新国立劇場運営財団

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1212()より東京・シアタークリエほかで上演される『ガラスの動物園』の稽古場を取材した。1930年代、大恐慌下のアメリカに生きる家族を描いた『ガラスの動物園』は、テネシー・ウィリアムズの出世作にして、アメリカ文学の最高峰とも称される戯曲。1945年のブロードウェイ初演以降世界中で繰り返し上演され、のちの演劇・文学作品にも大きな影響を与えたこの作品を、今回は上村聡史の演出、岡田将生、倉科カナ、竪山隼太、麻実れいの出演で上演する。

物語はトム・ウィングフィールド(岡田将生)の回想から始まる。トムはこの物語は追憶の劇だと宣言する。そう語る姿はくたびれた風情だ。しかしどこか甘い香りが匂い立つようで、それは郷愁の甘さに加え、岡田自身の持つ少し悲し気で優しい雰囲気がそうさせるのだろう。バンドネオンが奏でる物悲しいBGMとトムの独白が、閉じられた、息苦しい、しかし懐かしい家の中に観る者を誘っていく。

ウィングフィールド一家の住むアパートの中には、アンティークの調度品が設えられ、舞台中央の机の上にはガラス細工の動物が置かれている。父親は16年前に家を出ていったっきり。この家の空気を司っているのは母親のアマンダ(麻実れい)だ。南部のお嬢様育ちのアマンダはかつての栄華を未だに忘れられず、子どもたちを無意識のうちに支配しようとしている過干渉な母親。すべてにおいて大げさで、芝居がかっているが、麻実は"芝居がかっているのに、リアリティがある"という人物を演じるのに長けている。そしてこの一家を覆う一種病的な空気を生み出しているのがアマンダであるのが一瞬で伝わる求心力。なのにチャーミングさもチラリと覗くところはさすがだ。

空気を司るのがアマンダなら、一家の要は娘のローラ(倉科カナ)だ。脚に障害があることから極度に内向的、ガラス細工の動物を大切にしている娘。母アマンダが極端に可愛がり、かつて自分のもとに数多くの青年紳士の来訪があったように、ローラの元にもそんな紳士がやってくることを期待している。家族の......というより、アマンダの行動原理がすべて「ローラのために」である分、負担はトムの両肩にのしかかってくるわけだが、一方で一家の緩衝材になっているのもローラの優しさだ。倉科のローラからまず伝わってくるのは、そんな優しさ。倉科の可憐さと相まって本番の舞台ではさらに繊細なローラになるに違いない。

いびつな家族がなんとか破綻せずに保っているのは、やはりお互いへの愛ゆえなのだろう。岡田、麻実、倉科の3人は自身の感情を爆発させた瞬間、ぱっと罪悪感が広がるような、そんな繊細な感情を巧みに紡いでいく。演出によってはこの登場人物たちがどうしようもなく自分勝手に思える場合もあるのだが、上村演出版は、どのキャラクターも息苦しさと相手への愛情の間で葛藤しており、痛々しく悲しい。しかし綻びは少しずつ大きくなる。ずっと自分を抑えてきたトムが、この家には何一つ自分の自由になるものはないと嘆くシーンの岡田の悲痛さは胸に迫るものがある。

取材できたのは1幕のみだったが、このあと2幕になると、危ういバランスで保たれていた家族は、ひとりの青年――ジム・オコナーの来訪によって大きく揺れる。アマンダからローラのために知り合いの紳士を紹介してくれと懇願されたトムが連れてきたジムは、アマンダの期待する"ローラの青年紳士"となりえるのか。現実世界からの使者・ジムを演じるのは竪山隼太。1幕では幻想の紳士として印象的に佇んでいた竪山が、どんな"現実の青年"になるのだろう。そしてそれぞれの抱く期待や痛みがさらに増幅される2幕で、演出の上村がどんなところにフォーカスを当てるのかも楽しみである。ただ、1幕を観た感触では、上村演出は家族に対する期待や失望、義務、閉塞感、将来への不安や自由への憧れ、そして悔恨といった幾重にも重なる感情を丁寧に紡ぎ、そのすべてを家族愛という糸で繋ぎ合わせて見せてくれそう。それぞれが少しずつ破綻しているが、この一家は非常に優しい人たちなのだ、と思えた。戯曲本来のノスタルジックで繊細な美しさが際立つ『ガラスの動物園』になりそうな予感がする。

公演は1212()から30()までシアタークリエにて。その後、福岡、愛知、大阪でも上演される。(取材・文:平野祥恵、写真提供:東宝演劇部

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倉持裕の作・演出による『イロアセル』が1111日に新国立劇場にて開幕した。2011年に倉持が同劇場での上演のために書き下ろし、鵜山仁の演出で上演された戯曲が、今回は倉持自らの演出で、フルオーディションで選ばれたキャストによって上演される。10年前、SNSの隆盛により、多くの人々が匿名で社会に向け発信するようになったことを念頭に、その結果、露わになる社会のひずみや人々の黒い本音をえぐり出した本作だが、10年を経て、このテーマ性がさらに際立つ仕上がりになっている。

物語の舞台はとある島。ここで暮らす島民は、それぞれに特定の"色彩"を持っており、言葉を発したり、文字にしたためると、その言葉が個々の色を帯びて浮かび上がるという特異な性質を持っている。多くの島民はスマホのような機器を持ち歩き、それによってこの"色"を感知・識別することができる――つまり、誰がどんな発言をしたかが全島民の間で共有されるという状況で生きている。この島に、本土からひとりの囚人と看守がやって来て、丘の上の檻に収容される。そして、この丘で囚人と面会している間は、島民の言葉に色がつかなくなることが発覚する。発言の"匿名性"を手にしたことで、島民の間で様々な変化が生じることになり...。

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撮影:引地信彦

囚人がやって来る以前の島では、上記の通り、誰がどんな発言をしたのかが即座に共有されてしまうため、人々が"悪意"のこもった言葉を他者にぶつけたり、誰かを貶めたりすることは、一部の例外を除いてなかった。例えば、島民の必需品である"ファムスタ"と呼ばれる、人々の言葉の色を集めたり調整する機器を販売する会社「ブルプラン」の社長・ポルポリが、同機器新作の開発を、下請けの「グウ電子」一社に任せることを発表した際には(※正確には発表したというより、ポルポリとグウが2人で応接室で会話しているだけなのだが当然、その内容は全島民に筒抜けになる)、ライバル会社の人々からさえも祝福の言葉が贈られ、妬みや誹謗などは見えない。

そうした状況は濁りのない"キレイ"な社会であると言えるかもしれないが、見方を変えれば人々が本音を押し殺した、表面的な建前の言葉だけで成り立っている社会とも言える。

だがこの状況は、囚人の出現で一変する。囚人と話す時だけ、自分の言葉の色がなくなることを知った島民たちは、こぞって囚人の元を訪れ、これまで胸にため込んだ"本音"を吐き出すようになる。さらに、囚人はそこで知った事実を紙に書きとめ、その内容を記した"文書"が島中にバラまかれたことから、それまで無垢だった社会は一気に濁りを帯びていくことになる。

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気鋭の劇作家・演出家の加藤拓也と15名の多彩なキャスト陣による安部公房の傑作戯曲「友達」の上演が、9月3日(金)に新国立劇場小劇場(東京)にて開幕した。

写真提供:シス・カンパニー

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原作は戦後日本を代表する作家の一人であり、「シュールで不条理」が代名詞の作家・安部公房の戯曲「友達」。その傑作に対して、演劇と映像の両分野で新世代を代表し、常に心をザワつかせる世界観を提示してきた加藤拓也が演出と上演台本を手がける本作。特異で不思議で可笑しな関係性を演じる15名の役者陣にもまさに心がザワつく驚きの顔ぶれがそろった。

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不条理な状況に追い込まれていく「男」を演じる鈴木浩介に迫るのは、安部公房スタジオ出身の祖母:浅野和之を筆頭に、父母:山崎一キムラ緑子、3人兄弟・3人姉妹(林遣都岩男海史大窪人衛富山えり子有村架純伊原六花)の9人家族。そこに、内藤裕志長友郁真手塚祐介西尾まり鷲尾真知子がさらに加わる。

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~INTRODUCTION~
ある夜、ひとりの男(鈴木浩介)の日常に忍び寄る、見知らぬ「9人家族」の足音。
祖母(浅野和之)、父母(山崎一・キムラ緑子)、3人兄弟(林遣都・岩男海史・大窪人衛)、3人姉妹(富山えり子・有村架純・伊原六花)から成る9人家族は、それぞれに親しげな笑みを浮かべ、口々に隣人愛を唱えながら、あっという間に男の部屋を占拠してしまう。何が何だかわからないまま、管理人(鷲尾真知子)、警官(長友郁真・手塚祐介)、婚約者(西尾まり)、弁護士(内藤裕志)と、次々に助けを求め、この不条理な状況説明を試みるが埒があかない。しかも、彼らは、どんどん「家族の論理」に加勢していく流れに...。一体、この「9人家族」の目的は何なのか? どこからが日常で、どこからが非日常なのか? この男を待ち受けるのは、悲劇なのか、はたまた救済なのか?

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和やかで楽しそうに響くタイトルとは裏腹に、足を踏み入れれば、どこか怖いような滑稽なような不思議な別空間が・・・。
初日をむかえるにあたりキャストを代表して、鈴木浩介・山崎一・林遣都・有村架純の4名のコメントが届いた。

【男:鈴木浩介 コメント】
この戯曲は、僕がかつて所属していた劇団青年座で初演された伝説的な戯曲です。今、こうして「男」という役を演じる機会をいただけるなんて、不思議なご縁を感じています。安部公房作品は初めてですが、演出の加藤拓也さん、共演の皆さんと、とにかくいつ初日が来てもいいくらいの覚悟で、練りに練り、深めに深め、稽古を進めてきました。
男の日常があっという間に侵食されていく物語は怖いけれど怖すぎて笑えます。是非笑いながら観ていただきたいですね。

【父:山崎一 コメント】
もともと別役実さんが大好きで不条理劇には長く親しんできましたが、安部公房作品は僕にとっては全く質感が違うもの。
そこに、初めてご一緒する加藤拓也さんの視点を通して作られたこの世界観です。
加藤さんの稽古の進め方から言葉、指示に至るまで初めてのことばかりの稽古場でした。
この新世代の"得体の知れなさ"に出会えたこと、探求できたことに、ずっとワクワクし続けている自分がいます!
是非、お楽しみください!

【長男:林遣都 コメント】
舞台は、僕にとっての鍛錬の場です。そして、稽古は自分の余計な部分を削ぎ落し、時間をかけて芝居を追究できる大好きな場所なんです。今回の作品は、自分の価値観とは違う次元で生きている役で、加藤さんは自分では到底到達できない視点を提示してくださいました。ずっと頭を働かせ、神経を張り詰めて稽古をしてきて、気が付くと1日が終わっている感覚でした。それが何よりも楽しくて、役にも戯曲にも発見がとても多く、それをきちんと自分の身に落とし込んで、毎日の本番に臨みたいと思っています。

【次女:有村架純 コメント】
安部公房さんの戯曲が演出家の加藤さんの手によって文字に起こされ、何度台本を読んでも、私の頭だけでは到底理解には辿り着けないだろうと思いながらの稽古でしたが、そんな時間も心底楽しく、カンパニーの皆様と一緒に、無事に初日を迎えました。
とても幸せです。男と9人の家族による、正義の分断、正義のぶつかり合い。お客様が観劇し終わったあと、心に残るものがどんなものなのかとても気になりますが、是非余韻に浸っていただけたら、と思います。カンパニーの皆様全員で完走します!

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<公演情報>
【東京公演】
2021年9月3日(金)~26日(日)
新国立劇場小劇場

【大阪公演】
2021年10月2日(土)~10日(日)
サンケイホールブリーゼ

作:安部公房
演出・上演台本:加藤拓也
出演:鈴木浩介 浅野和之 山崎一 キムラ緑子 林遣都 岩男海史 大窪人衛 富山えり子 有村架純 伊原六花 西尾まり 内藤裕志 長友郁真 手塚祐介 鷲尾真知子

お問合せ:シス・カンパニー
03-5423-5906 (営業時間 平日11:00~19:00)

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