新国立劇場の作品創造プロジェクト「こつこつプロジェクト」の第一期作品『あーぶくたった、にいたった』(作:別役実、演出:西沢栄治)が2021年12月7日(火)から同劇場で開幕した。
同劇場の演劇芸術監督を務める小川絵梨子の肝煎りの企画の一つである「こつこつプロジェクト」。「矢継ぎ早にどんどん作品をつくっていく良さはもちろんあると思うが、作り手によっては、じっくり、時が来た時に舞台にあげるようなシステムができないか」と思案した小川は、公共劇場で、通常1ヶ月程度の稽古期間を1年という長い時間をかけ、〈試し〉〈作り〉〈壊し〉〈また作る〉というプロセスを踏めるようにした。英国のナショナルシアターでの事例などを参考にしたというが、なかなか日本の演劇界ではない取り組みと言えるだろう。
こつこつプロジェクトの第一期には、大澤遊、西悟志、西沢栄治という3人の演出家が参加。それぞれに作品を育て、試演会と協議を経て、この『あーぶくたった、にいたった』が本公演として上演される運びとなった。
1976年に文学座で初演された本作は、別役実の"小市民シリーズ"と呼ばれる作品群の一つだ。
演出の西沢は、今回初めての別役作品に挑んだ。過去のインタビューで西沢は「完全な喰わず嫌いで、ろくに観たこともないのに"あの独特の空気感が面白くない"と決めつけていたところがあるんです」と明かしつつも、「選んだ『あーぶくたった~』はもちろん、参考のためにと読んだ別役戯曲は、どれも本当に演劇的で興味深く、現状とあまりに符合する設定やドラマが多すぎて"予言の書か!"と驚くほど」と語っている。そして、「ひたすら普通に、つつましく生きようとした劇中の名もなき人々に思いを馳せることで、僕らなりの"日本人論"にたどり着きたい」とコメントしている。
(左から) 山森大輔、浅野令子 撮影:宮川舞子
公演初日を見た。
舞台には、一本の古い電信柱がスッと象徴的に立っている。雨にさらされて汚れた万国旗が垂れ下がっている。土に埋もれた赤ポストも見える。客入れ時に『チャンチキおけさ』や『世界の国からこんにちは』など、昭和の歌謡曲が流れていて、おおよその時代設定が推察される。
始まりは、山森大輔が演じる男1、浅野令子が演じる女1の婚礼の場面から。新郎新婦は、子どもの頃の思い出話をして、まだ見ぬ子どもの将来などを語り始めるも、会話は思わぬ方向に。楽しい新婚時代、子を持ち落ち着いた生活、そして老境へ―。全10場、人々の"日常"を断片的に切り取りつつ、1時間45分(途中休憩なし)で紡いでいく。
(左から) 山森大輔、浅野令子 撮影:宮川舞子
2019年6月に1st試演会、同年8月に2nd試演会、そして、20年3月に3rd試演会を経て、今回の上演に至った。プロジェクトが始まった当初、未知のウイルスがこんなに世界中で広がるとは誰も思っていなかったし、東京五輪が延期になるなんて想像もしていなかったと思う。そんな苦難の時代の中でも"こつこつ"と作りあげ、作品の強度をあげてきた。稽古の過程で、他の別役作品を読むなど"寄り道"も許される限りしてきた。
どこにでもありそうな日常の可笑しみを楽しんでいたら、ふと気がついたときには、大きな物語に飲み込まれて、動けなくなっていく。かつての「小市民」と、今を生きる私たちがどうしても重なり、この不条理に立ち尽くしてしまう。「いいじゃないか、ただ生きてみるだけなんだから......。ね、ほんのちょっとだよ。ほんのちょっとだけなんだから......」。そんなセリフが胸を打つ。雪に埋もれた夫婦の姿は、遠い昔の他人事とはどうも思えない。これが別役実の世界なのか。それとも"こつこつ"積み重ねてきたからこそ、見える景色なのか。
(右から) 浅野令子、山森大輔、龍 昇、稲川実代子 撮影:宮川舞子
役者もよかった。プロジェクトの各段階に携わった俳優陣からバトンを引き継ぎ、本公演では山森と浅野のほか、龍 昇、稲川実代子、木下藤次郎が出演する。それぞれ舞台経験を十分に持った実力派ぞろいなのだが、いい意味で素朴な雰囲気を醸し出し、絶妙な「小市民」を体現。派手な演出もなく、地味といえば地味なのだが、彼ら彼女らの半生がいい味を出していた。
ちなみに、千穐楽の19日まで本作の戯曲が無料公開されている(https://www.nntt.jac.go.jp/play/bubbling_and_boiling/)。予習として読むよりは、終演後に読み返すと、また新しい発見が生まれるかもしれない。
公演は12月19日(日)まで。なお、14日(火)13時公演終演後は、出演者と演出家によるシアタートーク(無料)が予定されている。チケット発売中。
取材・文:五月女菜穂 写真提供:公益財団法人 新国立劇場運営財団