【ぴあニュース】
1987年6月17日に帝国劇場で幕を開けたミュージカル『レ・ミゼラブル』日本公演が、6月17日に日本初演30周年記念日を迎えた。"日本初演30周年記念公演"と銘打つ今年の公演だが、6月11日からはスペシャルウィークとして、本編の上演後、歴代キャストが登壇するスペシャルカーテンコールを開催。中でもまさに30歳の誕生日となったこの日は、いわば"超スペシャル版"で、初演のジャン・バルジャン役の鹿賀丈史をはじめ、役150名の歴代・現役キャストが登壇、さらに本作の産みの親であるアラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンベルクも駆けつけ、この記念日を祝った。
スペシャル・カーテンコールは、この日登壇した現役・歴代キャスト150名による、1幕ラストのビッグナンバー『ワン・デイ・モア』からスタート。オリジナルキャストである鹿賀が最初のワンコーラスを歌った時点で、客席からはため息と歓声の入り混じったような声が起きる。その後も、次々と新旧のキャストが歌い継ぐと同時に、大スクリーンにその顔が映し出されると、その都度大きな拍手が沸き起こった。『レ・ミゼラブル』は"スターを作るミュージカル"と称されているが、本作でデビューを飾り初演時にアンサンブルとして出演していた藤田朋子、子役として出演していた加藤清史郎らの姿も見える。
初演の初日のステージにも立っていた鹿賀は「今日の舞台を拝見しましたが、初演時の勢いよりもっと元気のいい舞台でした。...が、これもすべて我々が始めたこと(笑)」と茶目っ気たっぷりに挨拶。同じく初演キャストである島田歌穂は「私にとって大きく人生を開いていただいた作品。生涯、感謝し続けます」と話す。2003年からバルジャンを演じていた別所哲也は「僕にとって俳優人生で大切な大切な役であり、作品」と言い、2007年からマリウス役を演じていた山崎育三郎は「僕は『レ・ミゼ』が大好きで、アタマから最後までひとりで歌えるくらい『レ・ミゼ』おたく」と作品愛を語った。
さらに作曲家のシェーンベルク自らが弾くピアノにのせ、バルジャンのナンバー『彼を帰して』を新旧6名のバルジャン役者が歌うパフォーマンスに劇場は大きな感動で包まれ、ラストは誰もが知る名曲『民衆の歌』の大合唱へ。1時間超に及ぶスペシャルなカーテンコールは、熱い熱い拍手の中、幕を下ろした。
終幕後に行われた囲み取材には、歴代バルジャン役の鹿賀、今井清隆、別所哲也、初演キャストである島田歌穂、岩崎宏美、鳳蘭、現バルジャン役の福井晶一、ヤン・ジュンモ、吉原光夫が出席。鹿賀は「あっという間の30年。これだけ大掛かりなミュージカルを日本でやったのは、たぶん『レ・ミゼラブル』が初めてだった。その最初に作った時の気持ちを、初演の時には生まれていなかったような若い人たちが受け継いでくれている。今日は一緒に歌うことが出来て感動しました。非常にいい時間でした」と語っていた。
公演は7月17日(月・祝)まで帝国劇場にて。福岡・大阪・愛知公演もあり。
ぴあニュースでもお伝えした『レ・ミゼラブル』日本初演30周年記念日スペシャル・カーテンコールの模様ですが、げきぴあではもう少し詳しくお伝えします。
30年の間にのべ2900人の俳優が出演したという『レ・ミゼラブル』。
そのうち、この日のスペシャル・カーテンコールに登場したのは約150名。
まずはその、この日登壇した現役キャスト+歴代キャスト総勢150名による『ワン・デイ・モア』からカーテンコールはスタートしました。
オリジナルキャストである鹿賀丈史(ジャン・バルジャン)が♪今日も...♪と歌いだすと、客席からはため息と歓声の入り混じったような声が。
バルジャン役は、鹿賀丈史、今井清隆、別所哲也、この日のバルジャン役・福井晶一。
続いてマリウス役の山崎育三郎、海宝直人(当日キャスト)、安崎求、宮川浩、コゼット役の宮本裕子、柴田夏乃、鈴木ほのか、清水彩花(当日キャスト)と、歌う順に大スクリーンに懐かしい顔が映し出され、その都度、客席からは大きな拍手が。
エポニーヌ役は白木美貴子、松原凛子(当日キャスト)、島田歌穂。やはり島田エポニーヌへの拍手は、ひときわ大きい!
ジャベール役は今拓哉、吉原光夫(当日キャスト)、岡幸二郎
テナルディエ役は山形ユキオ、橋本じゅん(当日キャスト)、本間識章
マダム・テナルディエ役は前田美波里、森公美子(当日キャスト)、鳳蘭、阿知波悟美
ほか、アンジョルラス役の岸祐二、坂元健児、上原理生(当日キャスト)
ファンテーヌ役の岩崎宏美、渚あき、和音美桜(当日キャスト)らの姿もあります。
続いて森公美子さん、岡幸二郎さんがインタビュアーになって、曰く「レジェンダーの方々」へのインタビュー。
初演のジャン・バルジャン&ジャベール役であり、作品の顔である鹿賀丈史さんは
「本番が近づくにつれ、この帝国劇場に壮大なセットが組まれ、リアリティがあって美しい照明がともされ、我々俳優は一着一着衣裳を作ってもらった。それもファスナーやマジックテープを一切使わず(時代にそって)ボタンを一個一個とめる、手作りのもの。そんなオリジナルスタッフの中で初日を迎えました。今日お芝居を拝見しましたが、その時の勢いよりもっと増して、元気のいい舞台を見せていただきました。...が、これも、我々が始めたことだと思っております(笑)」とご挨拶。
2003年~2011年のバルジャン役、別所哲也さん。
「僕にとってこの帝国劇場に立つことは俳優としての夢でしたし、実は初演の鹿賀さんの『レ・ミゼラブル』を観て、出てみたいと思った作品でした。オーディションに受かった時は本当に嬉しかった。僕にとって俳優人生で大切な大切な役であり、作品です」
鹿賀さんと並び「レ・ミゼと言ったら...」の、レジェンド・キャスト、島田歌穂さん。世界のレミゼキャストの一員として、ロンドンでエリザベス女王の前で、"ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス"としてエポニーヌを演じました。その経験は「夢のようでした。生涯この作品に感謝し続けます」とのことです。
また作品については
「本当に30年たっちゃった。びっくりです。今でもこの舞台に立たせていただくと、初演の初日の感動と興奮を思い出します。本当に私にとっては、大きく人生を開いていただいた作品」と感慨深げ。
1997年~1999年にマダム・テナルディエを演じていた前田美波里さんは「私にとって一番高いキーを要求された作品。初日はドキドキした」と話し、さらにテナルディエ・インのシーンで指を骨折して自分のエプロンに血がついていたが、全く気付かず自分の怪我だとは思っていなかった...というようなお話を。
マダム・テナルディエの初演キャストである鳳蘭さんは、宝塚をやめてまだ男役のイメージが強い中で、コゼットをいじめる役で、ファンからの失望がひどかったということで「来世ではコゼットを演じます(笑)」。
初演時にアンサンブル(プルベールとフイイ)を演じ、1994年からマリウス役を演じた宮川浩さんは
「31年前に当時大学生だった僕と藤田朋子ちゃんが(素人から唯一)合格しました。今、『ワン・デイ・モア』を歌わせていただいて感無量でした。(94年から)マリウスとアンジョルラスになって、嬉しかったんですが、あまり覚えていないですね(笑)」とのこと。
安崎求さんは、初演時はマリウスとプルベール、2007年からはテナルディエ役。マリウスからテナルディエに転じた俳優は、世界でも安崎さんが初でした。
「初演、30年前の今日6時半、ここに立たせてもらったことを誇りに思います。ひとつだけNGがあって。ハンガーを背負ったまま出てしまったんです。鹿賀さんがボタンひとつひとつ...と仰いましたが、早替えが大変で...。この時代にものすごく合う(笑)、ショッキングピンクのハンガーをしょって出ました。林アキラさんが取ってくれて、大事にはならなかったです。皆さん、これからも気をつけてください」
2007年から2013年までマリウス役として出演していた山崎育三郎さんは、
「僕は10年前の6月にデビューさせていただきまして、いまオーディションのことを思い出していました。僕は『レ・ミゼ』が大好きで、今日客席にいらっしゃる皆さんに負けないくらい大好きで、ずっと観ていたんです。『レ・ミゼ』おたくで、どアタマから最後までひとりで歌えるんです! 当時ジョン・ケアードさんが演出家で、カフェソングが審査の曲だったんですが、オーディションで「カフェソングだけでいい」と言われたのに僕は「マリウスの全部の曲を何も見ないで歌えます、聞いてください!」と言ったら...合格しました!」
初演はコゼットとアンサンブル、10周年からはファンテーヌ、現在はマダム・テナルディエの鈴木ほのかさんは、
「(女性のプリンシパルは)あと...エポニーヌだけです。惜しかった! これから受けてみようかな(笑)。30年前の今日は、アンサンブルで舞台に立っていました。テナルディエ・インのシーンで真ん中で鳳さんが歌うシーンの後ろにオレンジの衣裳を着ていました。写真にも載っているので、それがアンサンブルのほのかです。30年後に、その鳳さんが演じていた役をできるなんて、皆さまのおかげです。ありがとうございます。歳はとるものですね(笑)」
岩崎宏美さんは、初演のファンテーヌ。
「私は皆さんが思うほど音域が広くないんです。ファンテーヌの歌も出ない音域ばかりで。シェーンベルクとジョン・ケアードが「ファルセットでもいい。力強く、ファルセットだとわからないように歌ってくれればOKだよ」と言ってくださって、必死で(その発声を)練習しました。今、「ロマンス」とか昔の歌を歌うのが大変なのですが、わからないように裏声で歌ってます(笑)」と、『レ・ミゼ』の経験を今、駆使していることを明かします。
渚あきさんは2007年のファンテーヌ。
「20周年でお世話になりました。オーディションで、自分の感情を表現してと言われ、号泣して歌いました。これはもうだめだ~と思ったら合格のお知らせをいただいてすごく感激したのを覚えています。そうしたらジョン・ケアードの三次審査で「どうして僕の時は泣かないんだ」と言われました(笑)」と話す渚さんに、森さんが「私も泣けばよかった、ファンテーヌのオーディション時に...やってない、やってない!」。
初演公演にアンサンブルとしてご主演されていた藤田朋子さんの姿も。
「宮ちゃん(宮川浩)が言ったみたいに、この舞台がデビューでした。このオーディションに受からなかったら、たぶんいまだに路頭に迷っていたと思います(笑)。今まで女優を続けてこられたのは、この作品の関係者のみなさんが私を舞台に立たせてくれたからです、ありがとうございます!」
2011年から2013年にガブローシュ少年を演じていた加藤清史郎さんは、こんなに大きくなりました!
ちなみに2013年の加藤ガブローシュ、こんな感じでした→★
いまはミュージカル界でバリバリご活躍の小此木麻理(現・まり)さんも、デビュー作は『レ・ミゼ』。
「私は1994年に8歳の時にリトルコゼット役で出演しました。それがミュージカルデビューだったんです。『レ・ミゼラブル』から私のミュージカル人生は始まって今に至るので、私も路頭に迷わないで今日まで生きてこれたので(笑)、『レ・ミゼラブル』にはに感謝しています!」
海外からのゲストは、ウェストエンド、オーストラリア・ツアー、シンガポール、ドバイ公演でファンテーヌ役を演じているパトリス・ティポーキさん。
『I Dreamed a Dream』をしっとりと歌い、
「『レ・ミゼラブル』は私が劇場で初めて見た作品。当時7歳でしたが、そのときにすでに、『レ・ミゼラブル』をとおして、劇場・演劇に対する愛情が生まれました。それ以降、ずっと演劇界で生きてきました。
30年というのは本当に素晴らしい年月だと思います。日本の『レ・ミゼラブル』の関係者の皆様に本当におめでとうございますと申し上げたい。お祝いの席に立ち会えたことをうれしく思います」と祝辞を述べていました。
そしてこの日の超スペシャルなサプライズは、オリジナルフランス語版脚本のアラン・ブーブリル氏、作曲のクロード=ミッシェル・シェーンベルク氏の登場です!
ふたりを呼び込む森さんの声も感極まっています。曰く「この30年、たくさんのお客さまを呼び込んでくださった『レ・ミゼラブル』を生んだ、奇跡の方々」!
アラン・ブーブリル氏
「30年前の日本初演には色々な思い出があります。とても温かい思い出です。特に覚えているのが、何時間も何時間も夜、たくさんの時間をかけて、日本の訳詞をされた岩谷時子さんと沢山ディスカッションしたこと。残念ながら岩谷さんは数年前に他界されましたが、彼女とのディスカッションをとてもよく覚えております。また、初日は皇太子殿下と、2階の一番前の列に座っていましたが、その皇太子とフランス文学やユゴーについて休憩時間中にたくさんお話したことも覚えています。
当時、こうして30周年をこの帝国劇場の舞台に実際に自分が立ってお祝いできるなんて、本当に思っていませんでした。それも日本のお客さまが我々のこの作品を愛してくださったからだと思います。ありがとうございます」
クロード=ミッシェル・シェーンベルク氏
「初演のコゼット役である斉藤由貴さん、私は"ユキ・ベイビー"と呼んでいましたが、彼女がロンドンに『レ・ミゼラブル』を観に来たんです。本番が終わったあとにディナーをご一緒したのですが、彼女がレストランに来たとたん「ユキ・サイトウ、コゼットやるの、ノーノーノー」と言いました。どうしてかと尋ねると、「コゼットは結婚式の場面でマリウスにキスをする、私はそれはできません」と。なので、妥協案としてほっぺにキスをするということを提案しました、それが30年前の出来事です(笑)。
またもうひとり忘れたくない方がいます。本当に素晴らしいエポニーヌだった本田美奈子.さん。素晴らしいエポニーヌであったとともに、世界を見ても本当に素晴らしいキム役(『ミス・サイゴン』)でした。30年というのは長い歳月ですので、もういらっしゃらない方もいますが、彼ら彼女らの精神はまだわれわれと一緒にいると思っております」
さらにシェーンベルク氏のピアノで現役&歴代の6人のバルジャン
による『彼を帰して』。
バルジャンのソロ曲ですが、この日のためにシェーンベルク氏がアレンジしたスペシャルバージョンは、6人がハーモニーを作り、さらにアンサンブルの皆さんの美しいコーラスも加わった、本当にスペシャル版でした。
△吉原光夫、福井晶一、別所哲也、鹿賀丈史、今井清隆、ヤン・ジュンモ。
この日のジャベールだった吉原さんは、バルジャンに着替えて登場!
フィナーレはもちろん『民衆の歌』!
高らかにこの名曲を全員で歌い上げると、劇場は熱い、熱い拍手と歓声に包まれ、スペシャル・カーテンコールは幕を閉じました。
その後、6人のバルジャン+初演キャストの3名による、囲み取材も。
鹿賀丈史
「あっという間の30年でした。これだけの大掛かりのミュージカルを日本でやったのは、たぶん『レ・ミゼラブル』が初めて。最初に作った時の気持ちを、30年後のいま、初演の頃には生まれていなかったような若い人たちが受け継いでくれている。今日は一緒に歌うことが出来て感動しました。非常にいい時間でした」
今井清隆
「初演版の演出のジョン・ケアードが、この作品は「スターが作るミュージカルではなく、スターを作り出すミュージカルだ」と仰ったのですが、本当にこの作品からたくさんのスターが生まれて、各方面で頑張っていて、30年たってもまだこの作品のパワーが衰えない。この作品のパワーをすごく感じます。今日もこの場にいられて幸せでいっぱいです」
別所哲也
「僕は2003年から参加させて頂いたのですが、初演の鹿賀さんのバルジャンを観て、本当に感動しました。俳優になったんだからこういう舞台をやりたい、こういう舞台が出来るように時を重ねたいと思っていて、それが現実になりました。お客さまと一緒に、初演の皆さんが作ってくれた作品を育てていくという思いでやりました。そして今、新たに素晴らしい若いバルジャンたちがそれを引き継いでくれている。お客さまも3世代にわたってご覧になってる方もいます。私も娘にはこの帝国劇場でこの作品を観てもらいたいなと思っています」
島田歌穂
「この『レ・ミゼラブル』という作品は、私にとって大きく人生を開いてもらった作品。生涯感謝し続ける作品です。初日に両親を招いて、両親にこの『レ・ミゼラブル』の舞台に立っている私の姿を見せることが出来たときに、ああ初めて親孝行が出来たかなと思いました。本当に初日のカーテンコールの感動は今でも忘れられません。それが30年後に素晴らしい新たな皆さまに受け継がれています。40周年・50周年に向かって、これからもどんどんよりいい舞台を、感動を届けていっていただきたいなと思います」
岩崎宏美
「私は天皇陛下と皇后陛下と皇太子殿下がお見えになった時に、舞台が終わったあとにご挨拶させていただきました。その時に美智子さまから「あなたの年齢で母親役を演じるということは、私にとっても誇りです」という言葉を頂いて、涙が止まらなかった。皇太子殿下には「岩崎さんって本当に歌が上手いですね」と言っていただいた(笑)、そんなことを思い出しました」
鳳蘭
「30周年でただでさえ感動しているのに、今日はお客さまが感動しているのがひしひしと伝わってきて、客席と舞台がひとつになれた。こんな舞台にはめったに出会えないので、出演できて本当に幸せです。
初演の頃は、私は毎日ファンが減っていくので、子どもをいじめる役はダメだなと思いました。毎日、ひとり減り10人減り、千人減り...という感じでした(笑)」
吉原光夫
「自分は劇団四季にいたのですが、入ったきっかけの作品である『ジーザス・クライスト=スーパースター』を主演をしていたのが鹿賀さんで、その鹿賀さんの映像が観たくて、夜な夜な四季の映像室に入って盗み見ていました。それから今井さんの役をずっと追っていたので、今井さんの背中を観て育って...。そして2011年に別所さんと一緒にバルジャンをやらせていただいて、手取り足取り教えてもらいました。そんな方々と一気にこの1週間で同じ舞台に立てたことが、僕にとって神の恵み。幸せを頂いたなという気持ちでいっぱいです」
ヤン・ジュンモ
「この場に一緒に立たせていただいたことに感謝しています。韓国にはこのように30年続いているミュージカルがないのでとても羨ましい気持ちもあります。多くのミュージカル俳優がこの『レ・ミゼラブル』を観て夢を抱いたり、人生が変わったりという影響がすごくある。個人的には自分の公演に学生たちが観に来るとそういうところを気にします。なぜならその学生たちが人生を変える、自分がそんな影響力を与えられるという気持ちがあるので。私がこの日本で公演している間、偉大なるこの作品の意味を皆さんに伝えられるように頑張って努力して、残りの公演をやっていきたいです。ありがとうございます」
福井晶一
「正直に言いますと、この30周年スペシャルウィークにどなたが出演されるのか直前まで知らなかったんです。これだけ豪華な方々が集まっていただいて、そんなレジェンドキャストの皆さんの前で演じるというのはしんどかったんですけど(笑)。それ以上に一緒にこの帝劇の舞台に立てて、特に今日はこのお三方と『彼を帰して』を歌えて本当に幸せでした。歴史の重みを感じますし、お客さまにも愛され、みんなが作品を愛してくれているんだなと実感した1週間でした。それをまた僕たちが10年、20年、引き継いでいかなきゃいけないなと強く感じました」
――今日がちょうど30年。初日のことを覚えてますか?
鹿賀「もちろん。もちろん覚えています。一生懸命稽古したせいか、そんなに緊張することもなく、けっこうのびのびとやった記憶がありますね。今日のほうがよっぽど緊張した(笑)」
――30年後、また自分がこの舞台に...と思っていました?
鹿賀「いや全く。僕は2011年までジャベールをやっていたのですが、また呼ばれるとはおもわなかったので、感動をお客さまとわかちあえてよかったです。歌は現役が長かったので、ちゃんと覚えてました」
別所「『彼を帰して』は何度も歌わせていただいたので、蘇ることはたくさんあったのですが、今日はピアノをシェーンベルクさんがお弾きになって、鹿賀さんが歌い始めて...、まさにスペシャルな、このために作られた編曲だったので、とても思い出に残るものになりました」
今井「今日の『彼を帰して』は緊張しました。特にキーが転調していつもより高い声を出さなきゃいけなかったので。結構ドキドキしました」
――後輩たちにアドバイスは
岩崎「アドバイスなんてとんでもない。心強いというか素晴らしいですよね」
鹿賀「僕も、とんでもない。もう、素晴らしいですよ。僕らも一生懸命やっていましたが、この三人のバルジャンは力強くてあったかくて、すごい熱いものを持っています」
――オーディション時の思い出は。
岩崎「私はファンテーヌではなくエポニーヌの曲が課題曲だったのですが、第4審査くらいだったかな。最後の最後で、昔の宝塚劇場の地下に呼ばれて、エポニーヌの『オン・マイ・オウン』を歌って、廊下で待っていたら、島田歌穂ちゃんが入っていって同じ『オン・マイ・オウン』を歌ったんですね。それを聴いたときに「あ、この人の役だ...」と思って、その場から帰ろうかと思ったんですが、一応いて(笑)。そのあともう一回呼ばれて、「あなたの声は母親の声が出来るかもしれないから」と、ファンテーヌの『夢やぶれて』を歌わせてもらい、そちらで選んでいただきました。そんな思い出があります」
――鹿賀さん、最後にファンにむけてひと言。
鹿賀「おかげさまでこの作品も30年目を迎えました。今日、若い連中が演じ、歌う姿を観て、力を頂きました。お客さまも感動して帰られました。幸せな30周年です。ありがとうございました」
取材・文・撮影(囲み取材):平野祥恵(ぴあ)
【公演情報】
・7月17日(月・祝)まで 帝国劇場(東京)
・8月1日(火)~26日(土) 博多座(福岡)
・9月2日(土)~15日(金) フェスティバルホール(大阪)
・9月25日(月)~10月16日(土) 中日劇場(愛知)