撮影:荒木経惟
まったく違ったダンスのバックボーンを持ちながらも、見え隠れする存在の共通性を見いだし、遠ざけ、重なり、暴露しあい、関係を壊し、作り出すことを、この3年間、白井剛とキム・ソンヨンは日本と韓国を往復しながら繰り返してきました。それは、ダンスのコラボレーションというよりは、人と人がどう出会っていけるかを探る時間でもあったと言えます。その過程で、ある日見いだされたものが「衝動」という言葉でした。
踊ることから、より見えてくる「衝動」の形、勢い、熱。それはひとつではなく、無数の方向を持っています。その中に、互いへのそして自分達を浸食し、傷つけもする世界への本質的な愛の態度を見いだすことができるのでしょうか。荒木経惟(アラーキー)の原色の世界は、痛みの果てに優しさの沈黙と饒舌が満ち満ちています。
荒木経惟
「新種の爬虫類が組んず解れつ、別世界のラブシーンが見たいね。どっちが武蔵で小次郎か、これは新しい決闘だよ。」(撮影時コメントより)
『コラボレーションに向けて』
白井剛
今回恊働を企むキム・ソンヨン氏と始めてお会いした時、私と彼は「似ている」と人から言われた。それは踊りの上での事もあり、日常での事でもあるらしい。そう言われてみるとなんとなく似ていると感じるところもありつつ、まだよく解らないところでもある。
実際私の拙い英語と通訳を介して彼と話をしてみると、異国の人と接しているというような感覚は今のところほとんど無い。むしろ日本人を相手に話している時以上に違和感が無いと感じるくらいである。しかしそこには言語の違いというはっきりとした壁があり、その点で常に他者であることを意識せざるをえない。そしてどうしても、昨今の情勢の事などに対する気がかりや興味も、私の頭の片隅にあったりもする。
他者と対話するときの緊張や好奇心や気遣いや遠回り、共感や違いをひとつひとつ自分自身の内側で噛み締めながら一歩一歩手探りするような歩み。 恊働してゆく上でもまずはそういった接触から始まっていくことになるだろうと思う。そしてその中で我々は己と相手の価値観や身体性共通点や違いを認識し捉えて行くだろう。似ているようで違っていたり、違っているようで同じだったり、あるいはその間にあるモヤモヤした何かだったり、そういう微細なズレや振動にこそ感覚を発揮できる視点を持った2人なのではないか、と感じている。
キム・ソンヨン氏のダンスの中に私なりに感じた私との共通点のひとつとして、「他者」に対したときの「自己」のあり様に、ある種の独特なスタンスや方法論、意識的・無意識的に選択している距離感のようなものがあると感じた
「他者」とは人である場合もあるし、ダンスにとって不可欠な床やムーブメントそのものに対する意識、あるいは光や物体に対するものでもある。そしてそれが独特であると感じさせる理由をあえて簡潔に説明しようとするならば、その距離や触れ方、捉え方によって、そこで起きている微かな震えに耳をすますような内省的な感度を、ダンスという表現に結ぼうとするような、それを技法として洗練させるために方法を組み立ててゆくような、とも言えるかもしれない。
舞台製作は決して一人ではできないものなので、普段「国際交流」という場面でなくとも他者と関わりながら創らざるをえないものであり、また、とりわけダンス・舞踊・身体表現というものにとって、「他者」とは常に創作に並走する大きな命題でもある。韓国と日本の2人が踊り創る過程のなかで、「他者」というキーは、改めて意識される取り組みになるだろうと想像される。
そして、互いの身体の「中」に、そして「先」にある、特異的なものと普遍的なものを探索してゆく、試練と好機になるだろう。
情報技術の発達により、時間と場所を越えてさまざまな交流が可能となった現在であるが、「身体」を題材にした交流となると直に会って共に作業をする、時間と場所を共有することが不可欠であり、更にそこから「ダンス」という言葉にできない言葉、言葉以前の言葉の熟成をみるには、その過程でどれだけ時間と空間を共有し向き合えたかということが、結果を大きく左右する。
同じ1976年に産まれ、風土と文化の地続きなグラデーションと、政治と言語という隔たりをもった二つの国に育ち、今同じ時代に生きる男2人。言葉や国の違いという、淡くとも無視はできない扉を契機に、隣接し並走する他者と自己の世界観・身体観の接触を楽しみ、そこに発生する共振や不協和音を注意深く繊細にどん欲に、そして時間をかけておおらかに、たっぷり身体で探索したとき、その先に表現として観客の前に現れるもの。そして2人のダンサー/振付家が今と未来に向けて捉えるもの、予感するものに、自ら期待している。(2014年春)
キム・ソンヨン
これまで数多くの日本と韓国によるコラボレーションがおこなわれてきました。私自身も日本で幾度も公演をさせていただき、海外でも共同作業をおこなってきましたが、いつも短期間の滞在で公演をし、その国の人、文化芸術、社会、ダンスを感じ、作品を公演する機会をもてなかったことを残念に思っています。
今回、白井剛さんという優れたクリエーター、京都造形芸術大学という単なる公演だけではなくダンスや身体の意味を再度考え深める研究的な環境と出会い、長い時間をかけてワークショップ、レジデンスを通じたクリエイションとワークインプログレスを積み重ね、ダンスで世界と対話ができる作品作りを目指したいと思っています。十分な時間をかけられるということは、これまでの「出会い」に重点を置いたコラボレーションから、互いの身体と精神に宿る普遍性を追求し、「作品性」をもつユニバーサルな作品世界に到達できるのではないかと、私自身大きく期待しています。
私は両国のダンス界、そしてダンス交流は、転換期を迎えていると思っています。ダンス界は自国のダンスを客観的に見て新たなパラダイムを模索する時期に、交流もこれまでの積み重ねを土台に表面的な差異性や同質性を越えて本質に迫るコラボレーションが可能な時期にきています。
韓国でもっとも活発な活動をしている世代である私自身がまさにそのような状況にあります。個人的な意見ですが、私自身を振り返っても韓国のダンスは身体性に優れており、日本のダンスは思想性に優れているのではないかと思います。今回のコラボレーション事業は両者の長所を互いに学び合い、私たちが同時代を生きる者としてダンスで何を表現し、何が語れるのか、それをワークショップ、クリエイション、公演を通して人々と共有し、どう広げていくのか、これまでにない新たな実験だと思っていますし、両国の上記のような状況を未来に向けていける小さな一歩になるのではないかと信じています。
また、日韓両国での公演にとどまらず、他国での公演を実現させ、日韓ダンスの現地点を披露するとともに、世界におけるダンスの可能性を模索したいと思います。他国と出会うことで世界の人々と対話し、さらに作品を深めていけることを期待しています。(2014年春)
京都公演 舞台写真
2015年9月 撮影:清水俊洋