今年、5月~7月に東京・歌舞伎座で行われる市川海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿襲名披露狂言および、6月、7月の八代目市川新之助初舞台狂言が2月7日に発表されました。
発表会見には、團十郎を襲名する海老蔵さん、新之助を襲名する堀越勸玄さん、そして松竹・安孫子副社長が登壇しました。
▼左から勸玄さん、海老蔵さん、安孫子副社長
安孫子副社長は、この演目に決まった経緯として各所と相談してきたことを明かし、「市川家所縁の代表的な狂言を上演させていただきます。先輩や同世代の方々にもご出演いただきまして襲名披露興行を公演させていただきます。配役は最終的な詰めに入っております」と話しました。
海老蔵さんは「2020年、十一代目市川海老蔵改めまして十三代目市川團十郎白猿を襲名させていただく運びと相成りましてございます。このたびは襲名狂言を発表させていただきます。『勧進帳』『助六』『暫』、そして『男伊達』『押戻し』『景清』という演目を私が勤めさせていただきます。せがれは、勸玄改め八代目市川新之助となりまして、『外郎売』をひとりで演じます。みなさまが想像している以上に、違うハードルがあり大変だと思います。また『山姥』も、祖父十一代目市川團十郎が初舞台の折にこの演目で怪童丸のちに坂田金時やりました、大変ゆかりのある演目です」と挨拶。
勸玄さんはハキハキした元気な声で「堀越勸玄です。今年に市川新之助を襲名します。お願いします。『外郎売』と『山姥』の怪童丸を勤めさせていただきます。どうぞお願いします」と挨拶しました。
以下は、質疑応答の様子です。
――十二代目團十郎襲名の時と違うところや、ご自分の襲名ではこれをやりたいと思われたことがあれば教えてください
海老蔵「市川家ということで、やはり『歌舞伎十八番の内 勧進帳』『助六由縁江戸桜』、これは外せないですね。一番やりたかったですし、何よりも父から教わったのが、『勧進帳』『助六』『暫』『外郎売』でございます。その中で、名跡もそうですけれど、伝統文化をレガシーとして遺していくという意味で、せがれに『外郎売』を一人でやってもらうことがひとつテーマかなと思っています。
また、襲名興行としては7月に初めての3部制で上演します。3部制なので、バランスも考えた中でこういった演目になりました。最終的には自分がやりたかった形に近づいたと思って感謝しています。
私としましては、『勧進帳』『助六』『男伊達』『景清』、『山姥』もゆかりのある演目でございます。歌舞伎十八番の中にはひとつの作品ではないものも多々ございますし、「押戻し」は素晴らしい俳優さんがなさる『道成寺』で出来るのは、次の時代の歌舞伎へのアプローチという風に捉えていただければよいかなと思います」
――3か月興行のうち、新之助襲名が2か月になった経緯を教えてください
海老蔵「私の時も、團十郎襲名がメインで、その後に新之助でした。学校、年齢、体力的な問題を考えますと、2か月でも大変なことです。1か月でもよかったんですが、本人のやる気と会社のおすすめもございまして、2か月奮闘するそうです」
――新之助のハードルは海老蔵さんからご覧になってどう思われますか?
海老蔵「そうとう高いと思います。今までは早口言葉や、それに付随したせりふ、動きしかやってませんが、そこにいくまでの過程も難しいんですね。その作業も今回勉強してもらいたいと思ってます。そして、お客様も一緒に彼の成長を見守っていただきたいです」
――勸玄さんは今度一人で外郎売をやりますが、どうですか?
勸玄「結構難しそうだなと思います」
――5月、6月に弁慶を演じますが、あらためて團十郎として演じる思いをお聞かせください
海老蔵「襲名をすると発表してから、少しずつ準備というか心構えをしてきました。その中で『勧進帳』に向き合う姿勢が徐々に変わってきているのかなと思います。(襲名後に)いきなり芸があるとか、変わったとか、そういうことはならないと思いますが、そう思っていただけるような努力はしているつもりです。
『勧進帳』は、七代目市川團十郎が作った演目で、"山伏問答"などさまざま見どころがありますが、意外と難しいものが多いんですね。"判官贔屓"を中心として、命がけで人を助ける弁慶の姿と團十郎を襲名する私の姿というものが重なるように出来たらいいなと思います。
――5月、6月に休演日が設けられていますね?
海老蔵「そうですね、必要なことではないのかなと思います。松竹さんの判断もございまして、今年4月の新橋演舞場の公演から休演日を設けるそうでございます」
安孫子副社長「松竹としましても、働き方改革をやっていこうということで、今年の4月から全ての従業員に対象が広がります。歌舞伎は、長年にわたり25日間50回興行をさせていただいておりましたけれども、そうした一連の動きの中で、休演日を設けることにより問題が前に進むのではないかと考えております」
ーー海老蔵襲名の時と今回では、どのようなところに心境の違いはありますか?
海老蔵「一言で言えば心細いですよね。前回は隣に父が座ってましたし...。父親がいないというのは非常に心細いですし、本来支えてくれるはずだった麻央もいない。襲名は非常に大きなことですから、役者当人が頑張ったところでどうにもならないことがたくさんあるなと。それを今はものすごく感じております。今回は子どもが襲名し、また自分自身も大きな名跡を相続するということはいろんなことを感じますね。ですので、海老蔵を襲名した時の浮かれてる感じは全く無く...。時と経験は人を変えていくんだなと、感じていることですかね。自分が頼りにする人間がいない状況の中で、歌舞伎座で3か月、博多、大阪、名古屋、京都、各地を回っていく長丁場です。演じるだけではなく、歌舞伎の世界にはさまざまな風習がありますから、そういったことは至らぬことだらけだと思います。今は、自分のできることを背伸びせずにやっていくことが精一杯かなと思ってますね」
ーー勸玄さんはのびやかそうにみえますね
海老蔵「父ものびやかな人でしたから。勸玄も父に負けず劣らずユニークなところがありますので、気持ちの方は子どもたちに救われているかなと思います」
ーー團十郎白猿という名で襲名する思いを改めてお聞かせください
海老蔵「大きな名跡を継ぐにあたり、自分は先人たちにはまだまだ及ばぬという認識です。市川團十郎という名前に"白猿"を付けた人は過去にいないのでそうしました。
少し話は逸れますが、市川團十郎も私で13人目になるわけです。ものごとは、12時間、十二支、12星座など「12」になったらまた「1」に戻ったりしますよね。13人目は原点回帰という意味も含まれているのではないかという私の思いもございます。
市川團十郎は名優も多いですが、非業な最期を遂げる人間も多いです。そういう意味で、輪廻から少しでも脱却したい、新しく一歩を踏み出すんだという気持ち。自分への風当たりが強かろうと、後進の為に何かできることをと思い、名付けた気持ちもございます」
▼勸玄さんの羽織の紐を直している海老蔵さん
▼自分の扮装写真を見ている勸玄さん
襲名披露興行のチケット発売は4月12日(日)以降、順次発売予定。