青木豪演出の『十二夜』(原作:ウィリアム・シェイクスピア)が3月6日(金)に東京・本多劇場にて開幕します。
本作は、青木さんがシェイクスピアの本場でもあるイギリス留学から帰国してすぐの2013年に初演され、「こんなに笑えるシェイクスピアは初めて!」と絶賛された作品の7年ぶりの再演。オールメール(キャストは全員男性)の芝居で、初演はD-BOYSによる"Dステ"として上演されましたが、今回は全く違うメンバーでつくりあげられます。(※詳しいキャストはこちら!https://12th-night.westage.jp/)
そこで、上演台本・演出の青木豪さんと、翻訳の松岡和子さん、オーシーノ役の新納慎也さんにお話をうかがってきました!
――早速ですが、13年に初演された『十二夜』はいかがでしたか?
松岡 稽古場から劇場入りして見た時のインパクトがすごかった。最初からビックリじゃないですか。二礼二拍手一礼っていう。
青木 神社のね。
松岡 あれはどうして?
青木 初演はイギリス留学から帰って最初の作品なのですが、現地のグローブ座で観た『十二夜』がすごくよかったから、この作品をやりたいと思ったんですね。それで、グローブ座みたいに何もないところでやりたいなというのがひとつあって。もうひとつは、Dステで『ヴェニスの商人』(11年4~5月)をやったときに稽古二日目で震災に遭ったんです。
松岡 そうだったね。
青木 その時に、余震や電源の理由で「上演できるのだろうか」と思いながら稽古していたのですが、演劇なら電気が使えなくてもかがり火を焚けばできるんじゃないかと考えたんですよ。その発想があって、神社の境内という場所ならかがり火でも違和感がないなというふうに思って、『十二夜』でやってみました。
松岡 そこが始まりだったのね。でも『十二夜』って天災から始まるじゃないですか。海の嵐で双子(ヴァイオラとセバスチャン)が別れ別れになって。そういう部分と、私はシェイクスピアをやっていると「ああ、人間ってこんなに幸せになりたいんだ」「こんなに別れた人と再会したいんだ」ってことをすごく感じるときがあるんです。だから、あんなふうにみんなで神社でお願いするっていうのは、すごくピッタリな感じがあった。強烈に残ってます。
青木 そこは今回も変えずにやります。
松岡 嬉しい。
新納 僕、3年ほど前にイギリスのグローブ座の野外劇場で『夏の夜の夢』を、大雨の中でカッパを着て観たんですよ。夜で、それこそ火だけの明かりでした。寒いから客同士も肩を寄せ合って、一緒になってゲラゲラ笑って。なんかそれがすごく身近だったんですね。
青木 うん、うん。
新納 日本でシェイクスピア作品っていうと、ちょっと敷居が高い。でも、ここではこんなに身近なものなんだっていうのをすごく感じられたんです。僕は大学も演劇科だったのでシェイクスピアをやっていて。
青木 どちらだったんですか?
新納 大阪芸大の演劇科です。その頃も学校のホールってすごく小っちゃいんですけど、そこで『から騒ぎ』をやったりしていました。本当は、シェイクスピアってこんなに身近でこんなに笑えるものなのに、なんだか一般の人は敷居が高いと感じている。もちろん「生きるべきか死ぬべきか」みたいなもの(『ハムレット』)もありますが、でもこういうものもあるんだよってことを本当はもっと知ってほしかったんです。それで青木さんの『十二夜』を観たときに、その身近な感じがすごくして。和風なセットも親近感というか、海外戯曲ですが「観てるあなたちの国にもあることでしょ?」っていう提示をすごく感じましたし。おもしろいなって。僕は蜷川幸雄さんの作品に出てましたけど、蜷川さんも和を入れたり、「シェイクスピアだからって硬く喋るなよ」とか「もっと客に近寄るんだ!」みたいなことをおっしゃっていたので。
松岡 そうそうそう!
新納 そういうものがここでも実現されているように感じて、いいなって思いました。
松岡 それこそが豪さんのシェイクスピアだもんね!
――その青木さんならではの演出と、『十二夜』という喜劇のミックスが魅力だなとも思います。
新納 演劇って、予想できない展開を観たいとか、問題定義をされてテーマを持って帰る作品だったりとかあるけど、わかってるんだけどそれを観たい!とか、あり得ないようなハッピーエンドでワーッと拍手して「あー面白かった!何食べる?」って言えるのも、ひとつの醍醐味だと思うんですよ。
青木 うん。絶対そうですね。「今日、いい日だったな!」って思えるような。
新納 シェイクスピアは喜劇と悲劇との両パターンありますが、こういうあっけらかんとした喜劇は今も残るスタイルですよね。
青木 それが観たくて劇場に来る、というようなね。やっぱり日常って大変なことも多いから、せめて劇場に来たときくらい「楽しかった」で終わりたい。
――それも踏まえて今回、何か変えようと思われていますか?
青木 基本的には同じです。でも今、格闘中なのは台詞。上演台本は初演キャストに合わせてつくったから、原本と、松岡さんの訳と、初演版と、3つ照らし合わせながらやってます。
――松岡さんは、青木さんのアレンジはどういうふうにご覧になるんですか?
松岡 やっぱり、どういうふうに変えてくるのかなってことは、預けて、お手並み拝見と言うと嫌味に聞こえそうだけど(笑)。『十二夜』というのは、とても悲劇的なところもあるし、ロマンティックなところもあるし、権威を叩き潰すという快感もあって、いろんなものが入っている。それを表現するという着地点はお互い変わらないと思うの。だから、その間(あいだ)をどう素敵に遊ぶかってことだと思うんですね。そういうものを、預けて楽しみにしてる。
――青木さんと松岡さんは、『ヴェニスの商人』(11年)と『ロミオ&ジュリエット』(12年)、『お気に召すまま』(16年)、劇団四季『恋に落ちたシェイクスピア』(18年)でタッグを組まれていますね。
松岡 でも豪さんには、もっといろんなものをやってもらいたいなというのもありますよ。
青木 おお!やりたいですね。
――そう思うのはどうしてですか?
松岡 私の、豪さん初体験っていうのがシェイクスピアだったんですよ。『東風(こち)』(2005年/作・演出 青木)という作品なんだけど、豪さん作のお話なんだけど、内側に『テンペスト』が入ってて。そこから豪さんのつくるものに興味を持って、それ以来「グリング」(青木さんが旗揚げした劇団。2014年解散)の公演は大体観てた。そしたらなんでだかね。
青木 でも割と蜷川さんに引き合わされてる感はあるかもしれない。新納さんもそうだけど。
松岡 そうですね。やっぱり蜷川さんはね、縁結びになってる。そこはけっこう今の演劇界は大きいと思うわ。
――私、実は、新納さんにシェイクスピアの印象があまりないんです。ここ最近はやられてないですよね。
新納 そうですね。シェイクスピアそのままっていうのは最近はやってないですね。若い頃は大小問わずにやってましたけど。
松岡 学生のときはどんな作品のどんな役を演じてたの?
新納 『夏の夜の夢』はディミトリアス、『から騒ぎ』は......四人のうちの一人(笑)、『ハムレット』はローゼンクランツかギルデンスターンのどっちかでした。
松岡 それは学生が演出したんですか?
新納 学生だったり、先生だったり、学科長が当時フランキー堺さんだったので、フランキーさんがやられたり。
青木・松岡 ええー!
松岡 贅沢!
――『十二夜』を演じるのは初めてですか?
新納 初めてです。よく観てますけどね。でも今回、僕が演じるオーシーノについて「男装している女性を男性が演じていて、その人に惚れられる役です」って説明されたとき、「もう一回言ってください」と言いました(笑)。オールメールはそういうところが面白いですね。
――ちなみに初演はDステだったのでオールメールは必然かなと思うのですが、今回は、女性を入れようと思えば入れられる座組だと思います。なぜオールメールにされたんですか?
青木 もともとシェイクスピア作品はオールメールで書かれているからなって、いつも思っちゃうんですよ。むしろ女性役を女性がやることに無理が生じる感じがする。例えば『マクベス』で魔女が髭つけてるっていうのも、女性が演じるとおかしなことになってる気がするんです。
松岡 シェイクスピア作品は「シェイクスピアが当て書きをしていた」というふうに考えると、いろんな謎が解けるんですよ。シェイクスピアのカンパニーって少年俳優も入れて多くて16、7人だった。だから兼役が当たり前なのね。『マクベス』の魔女たちも、他のシーンでは髭が生えた兵隊やってたんじゃないか。つまり、そのままスカートはけば兵隊から魔女になれる。
青木 ああ!
松岡 でも、今はそういうふうにやってないから、女の魔女なのに髭を生やして「両性具有か?」みたいな。そういう謎めいた深い話になる。
新納 ただ早替えが間に合わないだけなのに。
一同 (笑)
松岡 絶対そうだと思うの。
青木 『お気に召すまま』のときも、松岡さんが「豪さん、香盤表を書くといろんな謎が解けるわよ」とおっしゃって。確かに香盤表を書くと「この役とこの役、絶対に出番がダブってない!」みたいなことに気付くんですよ。
新納 へえー!
青木 つまりすごく小劇場的なノリなんだよね。
――松岡さんが青木さん演出で楽しみにしていることはなんですか?
松岡 私ね、豪さんと何本か一緒にやらせていただいて、稽古場も遊びに行ったりしてるんだけど、試行錯誤が素敵なの。「こうして」じゃなくて、やってみて「あ、いかん、違った!」みたいな。
青木 (笑)。平気で言いますからね。
松岡 ときには袋小路に一緒に行っちゃって、「いかん、いかん」と言いながら分かれ道まで一緒に戻って「こっちだね」ってつくっていく。そこがすごく素敵だなって思ってる。そうすると役者さんもみんな「こっちに行くとこうだけど、こういうダメなところがあるんだ」ってことを"体感"するわけじゃないですか。それに、そういうやり方をしていると、豪さんに対しても「こっちにも道があるんじゃないですか?」みたいなことが言えるんじゃないかなと思うのよね。
新納 聞けてよかったです。いろんな演出家さんがいらっしゃるので。ちなみに台詞は一言一句変えないというタイプですか?変えていこうよというタイプですか?
青木 いずれ一言一句になるタイプです。最初から本通りにやらなきゃってなると、「言わなきゃ」になるから。最初は台本は覚えなくていいですって言って、稽古でなんとなく内容について語れるようになって、最終的に一言一句、という感じですね。昔はけっこうガッツリ考えて、その通りにやってたんですけど、それじゃ面白くないなと思って。俺の頭から出ないから。
松岡 豪さん自身が劇作家で、ご自分で悩んで戯曲を書くから、「これしかない」という状態でできあがってるもんね。多分それもあるんじゃない?
青木 昔はそうでしたね。でも、本の段階で完璧につくっちゃうと、演出をやる楽しみが実はないと思い始めて。あと、他の方に書いたときに、自由にやれる余地を残しとかないと、せっかく他の方がやってくれるのに意味がないと思ったので。そういうので少しずつ変わりましたね。
――新納さんがこの作品で挑戦だなと思っていることはなんですか?
新納 さっきおっしゃったように、僕にシェイクスピアの印象がない人は多いと思うんです。大学の演劇科を出ていることも意外と知られていないし、もっとチャラチャラした......
――そんな風には思ってないです!
新納 (笑)。シェイクスピア作品を演じることは、僕にとって挑戦であり、調整、確認でもあるんです。大学でシェイクスピアを習うことから始まって、何年かに一度やることで、ちゃんとまだ狂わずに言葉が喋れるか、とかそういうことを確認できる。シェイクスピア独特の台詞量をちゃんと言葉で伝える技術がまだあるかなっていう確認とか調整なんです。
松岡 ああ、素敵ね!
新納 こういう作品は、いかにドタバタするか、いかに面白くするか、いかに女性っぽくするかとかに偏りがちなんですけど、もっと根本の「双子のふたりはお互いが死んだと思ってその悲しみをずっと持ってる」とかも大事にしていきたいですね。
松岡 本当に楽しみ!絶対素敵なお芝居になると思う。
新納 がんばります!
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『十二夜』は3月6日(金)から22日(日)まで東京・本多劇場、3月29日(日)から31日(火)まで大阪・近鉄アート館にて上演。
取材・文 中川實穗