現在歌舞伎座にて「芸術祭十月大歌舞伎」が上演中です。
第74回文化庁芸術祭参加公演として上演されている、夜の部を観劇してきました。
演目は、通し狂言『三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)』と舞踊『二人静(ふたりしずか)』のふたつです。
『三人吉三巴白浪』を歌舞伎座で序幕から大詰まで通しで上演するのは2004年以来、15年ぶり。
同じ"吉三"という名を持つ3人の盗賊たちと、百両の金と短刀をめぐる因果話を描いています。
和尚吉三を尾上松緑、お坊吉三を片岡愛之助、お嬢吉三を尾上松也(偶数日)と中村梅枝(奇数日)がダブルチャストで勤めます。
通称『三人吉三』と呼ばれる本作は、河竹黙阿弥の代表作のひとつと言われ、特に序幕の「大川端庚申塚の場」は上演回数も多く非常に人気があります。
振袖姿の美しい女に化けた男=お嬢が、正体を現して「月も朧に白魚の~」と謳うように聞かせる七五調の名台詞は、大向こうから「待ってました!」と声がかかるほど有名な場面。
他にも、百両の金を巡って斬りあっていたお坊とお嬢を諌める和尚の男気や、3人が兄弟の契りを結ぶ場面も粋な演出で、見どころ満載です。
▲『三人吉三巴白浪』
(左よりお嬢吉三=尾上松也、和尚吉三=尾上松緑、お坊吉三=片岡愛之助)
けれども、『三人吉三』の本当の面白さは、物語そのものにあります。
「庚申丸」と呼ばれる名刀、そして百両の金にまつわる因果話は、彼らの親の代にまで遡るなかなかに根深い話なのです。
主人と従者、親と子、男と女、悪事と祟り、、、様々な要素が絡まりあう中、巧妙なパズルを解き明かしていくようにやがてひとつに繋がっていくと......抗いようのない宿命を背負った3人の姿が浮き彫りになっていきます。
ストーリー展開の巧みさや、ままならない運命に翻弄される登場人物たちの切ない思いは、通し上演で観てはじめて全貌がわかる仕掛けなのです。
人間の欲と業、そして多様な愛の形を描いた本作。
一筋縄ではいかない、複雑な心理を如何に表現するかは俳優の挑戦でもあり、腕の見せ所。
物語の中心的役割を担う和尚は、これまで何度も勤めてきた松緑が勤めます。
お坊とお嬢、妹のおとせ(尾上右近)と十三郎(坂東巳之助)にとっての、頼れる存在として懐の深さをみせていました。
また、苦渋の決断を下さねばならない場面では、悲痛な面持ちで和尚の苦悩の深さを現していました。
▲『三人吉三巴白浪』
(左より十三郎=坂東巳之助、和尚吉三=尾上松緑、おとせ=尾上右近)
愛之助のお坊は10年ぶり2度目の挑戦です。
男らしさの中にそこはかとなく色気を滲ませ、お嬢との複雑な関係も、さもありなんと思わせる説得力を持たせていました。
そのお嬢に初役で挑んだ松也。(※偶数日を観劇)
花道からの出では、抜け目のない視線で辺りを窺うなどいかにも女盗賊らしい表情や、吉祥院本堂の場でのお坊とのやりとりでは可愛らしさも感じさせ、中性的な魅力を振りまいていました。
出演はほかに、和尚とおとせの父・伝吉に中村歌六、十三郎の父・八百屋久兵衛に嵐橘三郎という配役。
"因果話"と聞くと、暗くてドロドロした内容なのかと思われる方もいるかもしれませんが、劇中の場面を薹が立った夜鷹の女たちがパロディでみせるなど、笑える場面もあります。
因果応報のツケは誰が払うのか?
追い詰められていく男たちの悲哀が切なく、そして美しい舞台でした。
『二人静』は世阿彌の原作を基に、坂東玉三郎が新たに演出した舞踊で、これが初演となります。
源義経が愛した女性・静御前の霊を玉三郎、静御前の霊が乗り移った若菜摘を中村児太郎が演じます。
幕が開くと松が描かれた舞台。
花道より若菜摘役の児太郎が登場します。
足の運び、動作のひとつ一つを丁寧に、緊張感を持って演じているのがわかります。
続いて、スッポンから静御前の霊(玉三郎)が姿を現わすと、その美しさに圧倒されました!
上品なゴールドとシルバーを基調とした衣裳を身にまとい、重力を感じさせない、まさに"霊"として存在しているかのよう。
玉三郎と児太郎が一度引っ込む場面では、静寂が劇場内を包み込み、客席は水を打ったように静まり返っていました。
▲『二人静』
(左より若菜摘=中村児太郎、静御前の霊=坂東玉三郎)
紗幕が上がり、神社の場に変わると、衣裳を変えた玉三郎と児太郎が再び登場します。
セットと衣裳が、オレンジと淡いクリームとグリーンの色使いで統一され、玉三郎の美学を感じさせます。
幻想的な空間に、つかの間現実を忘れてしまうような幽玄美を堪能しました。
公演は26日(土)まで。
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