3月30日(金)に開幕する舞台「Take Me Out 2018」。
アメリカのメジャーリーグのロッカールームを舞台に、その閉鎖性によって浮き彫りになるさまざまな実情を描いた本作(作:リチャード・グリーンバーグ)は、2002年にロンドンで初演され、その後ブロードウェイで上演。2003年のトニー賞で演劇作品賞、演劇助演男優賞も受賞した作品です。日本では2016年12月に初めて上演され、今回はその再演となります。
(左から藤田俊太郎、味方良介、玉置玲央、Spi)
前回に引き続き、翻訳は小川絵梨子、演出は藤田俊太郎。
出演は、玉置玲央、栗原類、浜中文一、味方良介、小柳心、陳内将、Spi、章平、吉田健悟、竪山隼太、田中茂弘。
玉置さん、浜中さん、陳内さんは今回からの出演です。
始まったばかりの稽古場にて、メイソン役の玉置さん、キッピー役の味方さん、デイビー役のSpiさん、演出の藤田さんにたっぷりお話をうかがいました!
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●今回は"2003年"を意識したい
――稽古が始まってまだ二日目ではありますが、今、どういうふうに感じているかを教えてください。
Spi:これ、内緒なんですけど......玲央くんがよくて!
玉置:ちょっと...!?
Spi:(笑)いやもうよくて!なんて言うんだろう...「そうそう、そうなんだよな!」っていう。
味方:わかる。
Spi:なんかこう、完璧なんだよな。楽しみなんですよ、それが。それにミカティ(味方)もやっぱミカティにしかできない感じで遊びだしたりしてて。「楽しみだな、僕もがんばんなきゃな」って思っている最中です。
味方:約1年半ぶりでけっこう早い段階での再演だと思うんですけど。稽古が始まって藤田さんの話を聞いて思っているのは、"再演であって再演ではない"ということで。また新たなものをつくりだしていくのかな思うと今からすごく楽しみです。
玉置:僕は(新キャストとして)まだ右も左もわからないまま稽古しているところです。でも自分の中で、"できあがってる座組"に入ってるっていう意識やイメージはないので。当たり前ですが、僕にできることをきちんと探らなきゃなって思ってます。それも"自分が"できることと言うよりは、"自分と共演者で"何ができるかを探らないと、自分が今回の座組に参加させていただいている意味がないと思うので今はそこを探っているところですね。
玉置玲央
――再演で、期間もさほどあいてなくて、ほとんどが続投キャストの中に入る、というのは不安な部分もありましたか?
玉置:メンバーもそこまで変わってないので、きっと残留思念みたいなものがあるはずだと思ったんですよ、初演のときの。そこに後から入っていくのはやっぱりやりづらいんですけど。でも全然そんなことなかったので。こんなに柔らかい現場なんだなと思って。だからこそ、その中で自分がやれることをきちんと探そうと思いましたね。
――藤田さんは演出の目線ではいかがですか?
藤田:僕は新作だと思ってます。1年半"しか"経ってないという見方もできるんですけど、僕は1年半"も"経ったと思っていて。その間に自分自身もすごく変わったし、あらゆる価値観や物事も変わってますし。その中で「Take Me Out 2018」をどうやろうかなって毎日考えてきての今、という感じなので。
――今回はどうしたいと考えていらっしゃいますか?
藤田:この作品は2003年にアメリカのブロードウェイで上演された作品なのですが、今回はその時代をきちんと見つめようと思っています。
――2003年って?
藤田:2001年アメリカ同時多発テロ事件があったあと、イラク戦争が開戦した年でもあります。物語に直接的に関わっているわけではないのですが、イラク戦争が3月に開戦した状況の中、この作品はブロードウェイで上演された。前回日本初演は解釈を、"2016年の今"でいいと思っていたんですけど、今回は「これは2003年のシーズンのメジャーリーグのロッカールームの話なんですよ」ということをまずはお客様にちゃんと渡そう、と。そうすると、言葉、状況、あらゆるものに一本筋が通るし、これはいつの時代の話なのだろう、という疑問をお客様にいだかせないようにしたいと思っています。
――演出的にはどう変わりますか?
藤田:美術や音楽など大きくは残っているのですが、それをベースにしながら、今回、言葉を大事にしたいです。きちんと"言葉の演劇"をやりたい。台本がどういう意味を持って、どういうシニカルさがあって、なぜこの言葉を選ぶのか、なぜこの状況をつくったのか、そこをきちんと理解して。それでじゃあ日本語だったらどういう表現が近いのか、ぴったりなのかをきちんと選び、役者の生々しい言葉としてつくりたいです。それがちゃんとお客様に届き、作品のテーマを伝えたいと思っています。
●この作品は「ポップ」「無常」「わからない」
――いろんな見方ができる作品だと思いますが、皆さんは個人的にどういう作品だと思われていますか?
味方:僕は2016年にやったときは、けっこうヘヴィーなイメージを持ちました。でも改めて台本を読んでみて、自分たちがヘヴィーな方向に持ってかれるとちょっと違うんじゃないかなと思いました。別に時代として暗いわけでもないし。ダレンの告白も別に暗いことではないと思うんですよ。だからもうちょっとポップというか。舞台を覗き見る感覚がある作品ですが、そこももっと「あ、見えてるな」くらいで観れる作品になればいいなと思いましたね。
Spi:僕は、コメディで無常さもあったりして、「ああ、そうだよなあ...」みたいな。
Spi
――どういう「そうだよなあ」ですか?
Spi:なんだろう。ペットが死んだときの感じ。「あ、そっか。もうこの子の時間はここで止まるけど、俺はどうしようもないんだ。なんにもできないんだ、そっか」みたいな。無常を感じる。「けど、まあそうだよな」みたいな。そういうのもあって、楽しいこともあって、悲しいこともあるよな、生きるのは、っていう。そういう感じですね。
玉置:僕は、この初演がお客様にどう迎え入れられていて、今回どう迎え入れていただけるのかが、ちょっとわかんないなと思っていて。「この作品を観たとき、お客様が最後に『こうだったな』と印象強く残るのはなんなんだろう」っていうのが、わからないんですよ。それは台本を読んでいても思いましたし、立って喋ってみてもまだわからなくて。今はそこに興味がありますね。
藤田:僕は無常も幸せも同時にあると思っています。このロッカールームって例えば、映画『裏窓』(ヒッチコック)みたいな感じだと思っていて。外からアパートの窓を覗くと、きっといろんな情景がありますよね。すごく楽し気な家族がいたり、ペットが亡くなって悲しんでる人がいたり。一室一室で全部違う。このロッカールームの中にもそれぞれのストーリーや人生があって、だけどひとつの野球チームの名のもとに、会計士(メイソン)も含めたメンバーが、前に進もうとしている、勝利を掴もうとしている。それは仕事としてもですし、自分の存在証明をかけても戦っている、というのがこの作品で。いろんな価値観や幸せや無常が同時に存在しているんですよね。物語の最後に残る印象は、「愛」とかかすかな希望だと思っています。
●出会わなかった人たちが出会うのが、ロッカールームでありアメリカ
(左から藤田俊太郎、味方良介、玉置玲央、Spi)
――皆さんの役柄のこともお聞きしたいです。玉置さん演じるメイソンは、スター選手・ダレン(章平)の会計士ですね。
玉置:すごくかわいらしい人なんだろうなと思っています。メイソンは主にダレンと関わっていく役ですが、そこにはクラス(階級)という考え方があって。クラスって日本に置き換えると"役職"とかのイメージだと思うんですけど、ダレンとメイソンの関係性って野球選手と会計士で、クラスが違うんですよね。それがメイソンのそのかわいらしさを邪魔したり、枷になったり。ある共通の認識を持っているにも関わらず歩み寄れなかったり。逆にその立場のおかげでの距離感もあったりするんですけど。僕は、その機微の部分に面白いものがあると思うんです。作品のチラシに「LGBTなどの社会的マイノリティに深く切り込み」って書いてありますし、そういう部分もあるんですけど、僕個人としては、さっき言ったような"お客さんがピンとこないであろう部分"をほじくりかえして伝えたほうが、面白いものを持ちかえっていただけるんじゃないかなと思っていて。そういうところから、純粋無垢という意味じゃなく"人間としてかわいらしいメイソン"が立ちあがればいいなと思いますね。
――Spiさんの演じるデイビーは、他チームに所属するダレンの親友です。
Spi:デイビーは、お客さんから見ると、いわゆるステレオタイプの"ダレンとわかりえあえなかった友達"。「いるよね、こういう人」っていう立ち位置にいると思います。でも俺から見たデイビーは、ものすごくデッドエンド(行き止まり)な人だなって。というのは、デイビーは聖書に基づいて生きてるんですよ。人類としては、聖書に基づいて生きたほうがラクなんですよね。教科書通りに生きることになるので、考えなくていいし。みんなで(聖書を)守っていれば、摩擦も少ないし。でも今ってもうちょっと"脳みそを広く""マインドをフリーに"みたいなところがあって。そういう意味では、僕から見たダレンって"フリーな人"なんですよ。ものごとをジャッジしない。「俺は男とセックスしたいけど、野球もしたいし」みたいな。その、「そんなふんわりした状態で生きててもいいんだ」という感じが、デイビーにとっては怖いのか、やったことがないからなのか、先入観なのか...そこで思考が止まっちゃうっていうもので。だから対面したときにどうしたらいいかわからないし、それで結局...ものすごく人間的になっちゃう。価値観を押し付けて。なんか...そんな感じです!(笑)
味方良介
――味方さんが演じるキッピーは、ダレンのチームメイトです。
味方:僕は正直わからないんです、キッピーっていう人物が。偽善的で、実はすごく差別心も持ってるだろうし、人をすごく見下すし。言葉にせずとも、居方だったり、ダレンとの関係値だったり、ダレンといることで自分が優位であることを示したりするし。もうね、やればやるほどわからなくなっていきますね。シェーン(栗原類)に対しても「俺だけがこいつを理解できるんだ」と"思ってるけど言い切らない"。ズルいですよね。は?って感じです。
藤田:(笑)。
味方:断定しないズルさ。
――いますね、この世界にも。
味方:そう、たくさんいるんですよ、この世界にも。
藤田:多くの人がキッピーの要素を持っている。
味方:うん。だからこそすごくやりにくいし。僕は気持ちの中ではすごく不快なんですよ、キッピーという人間が。でもそれが不快に見えないのもキッピーなんです。「こいつになら何かを任せられるかもしれない」「こいつならどうにかしてくれるかもしれない」と思われてるからこそ、監督も「キッピー、お前がどうにかしてくれ」みたいな。バランサーであるという自負があるから。やりにくい役です(笑)。
玉置:キッピー、やばいヤツだよね。
味方:やばい!善の皮をかぶった悪魔だと思うので。でもお客さんに、「なんかキッピーかわいそう」と思われたら勝ちなのかもしれないとも思っていて。まあでも恐怖な存在ですけどね。だから難しいです。
藤田:おもしろいですね。この作品にはこれだけ違う人がいるんですよ。デイビーは、新しい価値観を持った人もいる中でまっとうにキリスト教を信じているアメリカ国民。キッピーは白人で、知性があって高学歴WASP。言語バラバラの選手チームの中にいてその間に入って"通訳"していく様な存在、正義論を振りかざす。メイソンは作者に近い存在。ユダヤ人で同性愛者。だからこの作品は、メイソンの目線で描かれた人たちっていうふうにも読み解けるんですよ。キッピーが語り部として語ることからはじまる芝居は実はもう一人の語り部として俯瞰で見てたユダヤ人がいたっていう構造で。南部出身の白人がいて、日本人がいて、ドミニカ人がいて。でもこのもしかしたら"出会わなかった人たちが出会う"ってことこそが、メジャーリーグの日常だし、アメリカだって言えるわけですよね。
藤田俊太郎
――話を聞いていて、登場人物一人ひとりを追いたくないました。
藤田:役の話をするとき、3人とも演技者としてすごく誠実だなと思ったのは、みんな答えに悩んでいたことです。それはなぜかというと、この作品って一つ肯定したものを次の瞬間に壊すんですよ。この人はこうだけど、違う価値観で見たらまた違う。一方から見たらまっとうでかわいらしいのに、違う方向から見たら完全に悪魔だというものが作品に内在してる。それが、演劇の本質にあるなにかに引っかかる気がするんですよ。ものの見方は一つではない。あなたは何を信じて生きて、この言葉にはどんな本質と裏側、本物と偽物がありますか?って。だからこの芝居の座席は対面式だし、覗きこめるし、何度観てもあらゆる価値観を体感できる......という作品を今、必死でみんなでつくっている現場です!
一同:おおー(拍手)。
――ありがとうございました!
舞台「Take Me Out 2018」は、3月30日(金)から5月1日(火)まで、東京・DDD青山クロスシアターにて上演。