5月8日に東京・日生劇場で開幕するミュージカル『グレート・ギャツビー』の通し稽古を取材した。20世紀文学史における最高傑作のひとつと言われるF・スコット・フィッツジェラルドの名作小説『グレート・ギャツビー』を、1991年・2008年に宝塚歌劇団でも舞台化している小池修一郎が、宝塚版とはまた違う、新たなミュージカル化に挑む意欲作。ミュージカル界が誇るスター、井上芳雄を主演に据え、今春『BANDSTAND』でブロードウェイ・デビューを果たしたリチャード・オベラッカーが全曲書き下ろすナンバーも注目の、話題作である。
舞台エリア奥には、緩やかにカーブを描く大きな階段。左右に割れる円形のセット。稽古場での通し稽古のため、仮のセットで、俳優たちも稽古着だったが、奥行きのある舞台空間が広がっていて、本番では美しく叙情的な空間になりそうな予感がする。そんな中、キャスト同士が声を掛け合い、和やかな雰囲気から通し稽古はスタート。しかしひとたび物語がはじまると、ミステリアスなオープニングからめくるめく1920年代のNYの華やかで退廃的な世界に飲み込まれていってしまう。このインパクトある鮮やかな構成は、鬼才・小池修一郎の脚本の上手さだ。
物語は作家志望のニック(田代万里生)の視点で語られていく。ニックの家の隣の豪邸では、毎夜のように豪華絢爛なパーティが開かれており、大勢の人が出入りしている。そこに住むのは大富豪ジェイ・ギャツビー(井上芳雄)。謎めいた彼と知り合いになったニックは、ある日、ギャツビーの真実を知る。彼はニックのまたいとこであり、対岸に夫トム・ブキャナン(広瀬友祐)と暮らすかつての恋人・デイジー(夢咲ねね)と再会をするため、毎晩パーティを開いていたのだ。ニックの協力を得て再会を果たしたジェイとデイジーだが、トム、そしてその愛人マートル(蒼乃夕妃)、マートルの夫ジョージ(畠中洋)らをまきこみ、物語は悲劇へと突き進んでいく...。
舞台全体を使ったダンスシーンの美しさや、ふとした会話での登場人物の位置関係など、どの一瞬を切り取っても空間が美しく、小池修一郎の美意識がこれでもかと詰め込まれている。注目のリチャード・オベラッカーの楽曲も、バラードからジャズ、ブルースと多彩ながら、どこかすっと身体に入ってくるような親しみやすさもあって、いつまでも聴いていたくなるような心地よさ。
そしてなんといっても井上芳雄のジェイ・ギャツビーが素敵だ。持論であるが、ミュージカル界のプリンスたる井上、そのプリンスらしさが際立つのは、何より"成就しない愛"を抱きしめる役どころではないかと思うのだ。いわゆる一般的なハッピーエンドではない、その報われなさが、愛の崇高さを、そしてその報われない愛に身を捧げることでその人物の気高さを輝かせる。その意味ではこのジェイ・ギャツビーは、ドンピシャな役どころ。井上は愛に身を捧げる男の切なさを全身から滲ませる。さらに"背中で語る"男の渋さにも挑戦。その懐の広さ、人間性の大きさすらも表現。ほぼ動きもなく、歌だけで魅せるソロナンバーなども素晴らしい引力で聴かせた。間違いなく井上芳雄の代表作のひとつになるに違いない。
ほか、田代万里生のニックは育ちの良さ、潔癖さ、情の深さがぴったりだし、夢咲ねねのデイジーは稽古着でもうっとりする美しさ。これまでにない年上の役に挑んでいるトム役の広瀬友祐も意外なほどしっくりと骨太な役を演じており、いずれもハマリ役と呼べそう。稽古場からすでにかなりの完成度・安定感である。繰り返しになるがセットも仮であり、このあと舞台美術や衣裳とあわさり、さらにどんな美しい空間が広がるのか、そして原作小説中でも印象的な"神の眼"といったものはどう登場するのか...、期待感がいや増す稽古場だった。
取材・文:平野祥恵(ぴあ)
Photographer Chagoon(www.chagoon.com)