12月に開幕する、劇団四季の海外新作ミュージカル『ノートルダムの鐘』。
1996年に公開されたディズニー長編アニメーションに基き、2014年にアメリカで開幕したミュージカルの、日本初演です。
劇団四季では今までにも数多くディズニーミュージカルを上演していますが、今回はアニメ映画でお馴染みの楽曲なども使われますがそのストレートな舞台化ではなく、ヴィクトル・ユゴーの原作小説を最重視し、作ったミュージカル。
アニメでは描かれなかったシビアでシリアスな面も描かれた、大人のための演劇作品になっています。
11月24日、その稽古場取材会が開催されました。
その模様をレポートします。
物語は15世紀末のパリが舞台。
街の中心に存在するノートルダム大聖堂の鐘突き塔に住んでいる、カジモドという名の鐘突きは、その容貌からこの塔に閉じ込められて、外の世界と隔離されている。
友と言えば、何故か彼を前にした時に生命を宿す石像(ガーゴイル)と、鐘だけ。彼は塔の上から町を眺め、いつも自由になることを夢見ていた...。
稽古場で披露されたのは3つのシーン。
まずは主人公・カジモドが外の世界への憧れを歌うナンバー『陽ざしの中へ』。
日本では『僕の願い』というタイトルで親しまれている、作品を代表するナンバーですね。
カジモド役候補・海宝直人さん。
この物語、原題は『The Hunchback of Notre Dame』となっているとおり、カジモドはHunchback(せむし男と訳されることが多い)という外見的特徴を持っています。
登場した海宝さんを見て、正直なところ「よくこの演技をしながら歌えるな...!」と思ってしまいました。
身体の使い方も、声の出し方も普段とは違っています。
海宝さん、熱演。
こちらは同じくカジモド役候補の飯田達郎さん(左)と、田中彰孝さん(右)。
演出のスコット・シュワルツさん。
スコットさん、この作品を手がけた(作詞)巨匠スティーヴン・シュワルツ氏(『ウィキッド』でもおなじみ)のご子息です。
スコットさんからのダメ出しは、カジモド役3人で聞いています。
この歌はカジモドの自問自答から始まりますが、「普通の生活とはどんなものか。一生こういう風に続けるんだろうか。死ぬまでひとりなのか。みんなと一緒に過ごせればどんなに素晴らしいか。...そう自問自答しながら、ほとんど彼は諦めている。外に行こうとは思っていないんです。でも、外に行ったらどうなるかと考えます。妄想の世界に入るんです。一生ここにいるとはどういうことだろうと考えているところからスタートしたほうがいい」と、カジモドの心情の流れを丁寧に説明します。
さらに「そうして、塔のの高いところに登って外をより良く見えるようにした。そこで...どこかで(今日一日だけでも外に出ようと)決断するポイントが欲しい。最初は外に出ようと一切思っていないところから、決断する。そのポイントを明確に見えるように。それは皆さんそれぞれ、異なるポイントでかまいません」
と、3人それぞれに自分で考えるように指示を出していました。
そんな稽古の様子からもわかるようにスコットさん、後ほど行われた囲みインタビューの場でも「これから本番に向けての稽古では、(実際の動きといったことを超えて)それぞれの登場人物の心理にもっと深く入り込んでいきたい」と話していらっしゃいました。
続いて、メインキャラクターの多くが顔を揃える"道化の祭り"のシーン。
ナンバー的には『トプシー・ターヴィー』~『息抜き』~『タンバリンのリズム』となっています。
道化の祭りで人々から喝采を浴びていたのは、美しきジプシーの踊り子、エスメラルダ。
エスメラルダ役候補・岡村美南さん。
岡村さん、美しいです。色気とカッコよさがあって、ぱっと目を引き付けます。
スリットから覗く脚もすらっとしていてキレイ!
こちらはジプシーの一味を束ねるリーダー、クロパン役候補・阿部よしつぐさん。
こっそり街へ降りていったカジモドはエスメラルダに魅了されますが、彼女に惹かれていたのはカジモドだけではありませんでした。
大聖堂警備隊長、フィーバス。
こちらはフィーバス役候補・佐久間仁さん。
そしてもうひとり、カジモドの世話をしている(そして彼を鐘楼に閉じ込めている)ノートルダム大聖堂の聖職者、フロローもまた...。
クロパンをはじめ、ジプシーたちにダメ出し中のスコットさん。
いわく、手にしているこのベストがジプシーの象徴であり、これをお客さまに明確に提示して欲しい、これを着たらその人はジプシーに扮しているんだとわかるように...とのこと。
そして聖職者の身でありながらエスメラルダに邪悪な欲望を抱いてしまったフロローの葛藤のナンバー『地獄の炎』のシーン。
このミュージカルの見どころのひとつである、クワイヤ(聖歌隊)が効果的に使われています。
このあたりの演出も演劇ならではだと思いますよ。
この日のフロロー役候補は、芝清道さん。
熱唱を越えた、絶唱!
クワイヤの歌声も厚みがあって、すごい迫力です。まさに聖歌のような荘厳さも感じます。
同じくフロロー役候補の野中万寿夫さんとともに、スコットさんからのアドバイスに耳を傾けています。
ここでもスコットさんは、どうしてこのポーズで終わるのか...といったことから、フロローの欲望と抑制といった内面を掘り下げるお話をしていました。
スコットさんの演出をきいている、カンパニーの皆さんです。
さて、稽古場披露のあとに、スコットさんと、カジモド役候補者3名(海宝直人、飯田達郎、田中彰孝)の囲み取材会も行われました。
その模様もお伝えします。
――今までのディズニー作品とテイストが異なりますが、どういう点に気をつけて演出しているのか。
スコット「舞台版を作るにあたって我々が目指していた意図は、ヴィクトル・ユゴーの原作と、ディズニーのアニメーションの作品の両方に基づいて作ろうということ。原作小説は西洋文学の中でも卓越している作品です。もちろんアニメもこの小説を基としていますが、その原作にもう一度還ることに私は喜びを感じました。実際の原作は、非常に残酷で痛々しい作品であり、その世界観は非常にシニカルで悲観的なもので、ディズニー作品ではなかなか取り上げない領域だと思います。でもその中核にはやはり希望があり、それ以外にも"光"が表現されているところがある。それは淡い光なのですが、闇を排除するような力強い光でもある。この劇場版を作るにあたってそういったことを意識しました。ユーゴーが描いた"闇"というものも忠実に表現しつつ、その中でも望みを諦めずに求めるということを描いたつもりです。また素晴らしいラブストーリーも描かれています。愛というテーマを追求していくのも喜びでしたし、ミュージカルの中核に愛を描くということは私が非常に楽しいと思ったところです」
――演出上のみどころを教えてください。
スコット「この作品でのアプローチはある意味独特なものなのではないでしょうか。私たちは、最終的に人間関係や人の本質を描くために、なるべく演技と音楽に焦点を絞って作り上げました。そのためにあえて近代的なものは使わず、伝統的な演劇的技術を持ち寄りました。舞台である1482年当時にあった演劇の技術を使って人間性や人の本質を描くことにこだわったのです。そのひとつの方法として舞台上にクアイヤ(聖歌隊)を入れています。1482年、ノートルダムに実際クアイアがいましたから、彼らにこの素晴らしいスコアを奏でてもらうことによって、当時の演劇手法が表現できたと思います、ほかにもラテン語など、教会にまつわるような歌詞も取り入れています。
また、最終的に目指したのは、完成された演劇作品をお見せしながら、また同時に小説を読み解いているような体験を観客に提供したいということ。観ているお客さまにも想像力を働かせていただき、共同作業でこの世界観を描いていくというような作品を作ったつもりです。お客さまとの二人三脚で、コラボレーションをすることで、この世界に入っていくというものにしたかった。このような表現を、日本の皆さまにお楽しみいただきたい」
――それぞれカジモドを演じる上で大切にしていることと、アピールポイントを。
海宝「カジモドはピュア、まっすぐな心を持った青年です。そのそのピュアさ、まっすぐさゆえに傷付くし傷つけられる。そういう繊細なところと、かつ肉体的にはパワフル。肉体的にも精神的にも、繊細だけれどパワフルというところを表現したいと思っています。また歌のボリュームも多いので、しっかり聴いていただけるように稽古していきたいです」
飯田「僕はお稽古場でふたりがやっているのを何度も観ていますが、そのたびに感動して涙が出るんですよ。何回観ても、エンディングに行くにつれぐっと、心の中のボリュームが上がっていく。それを崩さずに、お客さまに台本の言葉やドラマを丁寧にお伝えしていきたいなと思います。アピールポイントは...うーん(笑)。おふたり(海宝&田中)はテノールで、『ライオンキング』のシンバとか、パコーンと上のところ(高い音域)を出す役をずっとやられていますが、僕は低い声(の役)しかやってこなかったので、そこが自分の新境地。高い音をしっかり出せるようにというのが...トライするポイントですね(笑)」
田中「今回この役を頂き、セリフを勉強するときに、なかなか自分の声で練習できなかったんです。(カジモドの発声・発話が)うそをついているようになってしまって、声に出して練習できない期間がしばらくあって。カジモドは身体の形にも特徴があります。僕らはなりきるというより近づくことしか出来ないかもしれないけれど、思い切りやることで、メッセージが伝えられると思うので、演じるうえでそこを大事にしています。ふたりもそう思っていると思いますが。
アピールポイントは...一生懸命役を演じることで、カジモドのストーリー、この『ノートルダムの鐘』を伝えてくれると思いますので、今は一生懸命務めるだけです」
――アニメ公開時にプロデューサーが「この作品は歌によって気持ちが高められ、不可能が可能になり、雰囲気が一瞬で一変する。イマジネーションを刺激する作品」と言っていました。不可能が可能になったり、気持ちが高められたり、そういうことを感じる歌や歌詞はありますか?
海宝「僕はアラン・メンケンが小さい頃から大好きだったので、どの作品も大好きなんですが、やっぱり『ノートルダムの鐘』の音楽は重厚感があり、(独特の)世界観がある。実際に歌ってみても、さきほど披露したの『Out There(現行の邦題『陽ざしの中へ』)』もそうですが、とにかく音楽が気持ちが引き出してくれる。ですので、まずこの曲ですね。カジモドの中で動いている思いや、自分の世界の中で見えているものが表現されている楽曲なので、大事に歌いたいです」
飯田「...これ、みんな『Out There』になっちゃいますよね...(笑)。でも...、最後に『Made of Stone(現行の邦題『石のように』)』という曲があります。これは映画にはない曲です。(カジモドの妄想の中にいたガーゴイルが)石像になってしまうというシーンなんですが、ここで演出サイドから言われているのは、カジモドの頭の中にあるガーゴイルたち、自分の想像するガーゴイルの声を排除して欲しいということ。自分の怒りやパッションをぶつけて(ガーゴイルの声を)頭の中から追い出してほしいといわれています。イマジネーションも必要ですし、自分に対しての怒りを外に出している、そういうところのお芝居の難しさも感じています。...さ!(と田中さんを見る)」
田中「だいたい3番目が困るんですけど(苦笑)。...やっぱり『Out There』にしても『Made of Stone』にしても、どの曲も、その中にストーリーがある。楽曲はアニメーションと同じものを使っている部分があって、でもその中で歌われている僕たちカジモドの感情というのは、より原作に近づいていたり、よりお客さまに対して生の感覚をぶつけるものになったりと、いま演出をつけてもらっているところです。アニメと同じ楽曲の中に流れる根底というものを見つけている最中です」
――スコットさん、四季のカンパニーの仕事をどのように楽しんでいるかと、本番に向けての期待感をお願いします。
スコット「日本の、この劇団の、これだけの有能な俳優の皆さまと日々稽古できて、非常に楽しませていただいています。何よりひとりひとりの俳優の腕が非常によくて、長年仕事をしていますが、こんな劇団は本当に世界に類がない。皆さんが日々努力して、下準備していただいていて、そしてぞれぞれが人生をかけてこの作品を作り上げてくれている。俳優さんひとりひとりのスキルの高さに日々驚いています。
またこれから焦点を当てて稽古していきたいと思っているのは、それぞれの登場人物の心理にもっと深く入り込んでいって、様々な層になっている複雑な感情を皆さんから引き出していきたいなというところ。月曜に劇場に行き(舞台設営を)見学させていただきました。非常に美しく出来ていましたし、素晴らしい劇場だなと感じました。劇場は大きいのですが、非常にお客さまが近く感じられる。壮大でありながら親密さがある、まさに作品作りでもそのようなところを目指しています」
――会見で「分断のない世界を描く作品」と仰っていました。いまこの作品を上演する意味合いをどうみていますか。
スコット「実は稽古に合流した初日に、そのことを俳優の皆さんに話しました。ちょうど大統領選挙の直後だったので。少なくとも西洋においては最近は他者を排除する傾向が最近は強い。単一的なナショナリズムを好む傾向になっている。最近は政治的なリーダーから、壁を作らなければならない、自分たちを守るために民族のあいだを隔離しなければならないという話を聞く事が多くなったように思います。それは、『ノートルダムの鐘』の登場人物であるフロローの考え方そのままなんです。2年前にアメリカのプロダクションを開幕した時よりも、今の方がさらにこのテーマが普遍的なものとして通用する時代になってしまっているんじゃないか。それは非常に残念なことだと思います。でも、このミュージカルは様々な問いかけをしていますが、それに対する単純な答えは提供していません。それは観ていただいたお客さま、またその上演しているコミュニティの皆さんにその解釈を委ねる。個人・社会が他者を、自分たちとは違うがために居心地を悪くさせてしまうことに対してどう対応していくか...という問いかけについて、観る者に解釈を委ねているのです」
――カジモド役の皆さんに。オーディションからとても大きな変化を遂げていた。実際に稽古して、要求されるものや道のりの険しさを感じたか。またこの役は自身の俳優人生でどういう位置づけになりそうか。
海宝「もちろんオーディションのときは、カジモドをやりたいと思って受けていましたが、それがどういう道のりになるか正直予想できていなかった。未知でしたし、稽古が始まるまで不安でした。でも声の出し方、発話の仕方、肉体的な表現...本当に海外スタッフの皆さんがひとつひとつ丁寧に稽古の中で指導してくれましたし、自分の中でもどういう声の出し方がいいだろうというのは研究しています。(カジモド特有の発声で)負担をかけすぎると、歌にも影響しますし喉もつぶしてしまいますから。それは今でも追求し続けています。そういう意味では今でも道のりは険しいと思っていますし、必死になって登っているところです。通し稽古をするたびに、精も根も尽き果て、疲れ果て、エネルギーを使い果たす作品です。けして上演時間は長くはないのですが、どれだけ濃密なんだろうと感じています。今でも必死に追求している最中です。
そしてこの役は...自分の中では大きな転換点。この役をやりきれたら、役者としてひとつ満足しちゃうんじゃないかなというくらい。自分にとっては重いし、プレッシャーもありますが、初日までにこの物語が持つメッセージ、エネルギーをすべて伝えきれるように頑張っていきたいです」
飯田「ほとんど同じですね。話し方、身体の表現...手を使いながら足を内股にしながら顔も曲げながら...という表現になってくるので。お芝居(心情等)以外のところも気を使わないといけない。腰が痛くなってくると身体があがってきてしまうし、そういうところに苦労しながら、なるべく求められている形、表現のままでいるというところに努力をしています。海宝君も言っていたとおり、カジモドの喋り方をしすぎると、すぐに歌に移れないんです。声帯が開ききった状態から高い声は出にくいので。その調整に3人とも苦労しているところ。ドラマは別として、そこをクリアにしなければいけないという基本的なところがあります。
位置づけとしては...僕、作品の本当の中心(主人公)って今回が初めてなんです。それこそ未知の領域。プラス、俳優としても人間としても大きく一歩前に出れる役だなと思ってますし、人生で初めて買ってもらったビデオが『ノートルダムの鐘』のアニメーションだったので思い入れがあるので、ご縁も感じています」
田中「喋り方、身体の使い方というのは、究極的に言えば、それが自然にならなければいけない。カジモドはそう生まれてきたので。(演技ではなく)自然にならなきゃいけないところがすごく難しい。一番最初、オーディションでスコットさんが「まずやってみて!」と言われて。(飯田「そうそう!まさか(身体表現も)やるとは思ってなかったですよね」) 海外の映像をみて、どうするんだろう、いつからそれを取り入れるんだろう、説明はあるのかなとか思っていたのですが、オーディションの場で「骨格がまがって、骨格がまがったらどういう声なのかというのを君たちなりに考えてチャレンジしてみてくれ」って言われたんですよ。あんなに緊張したことはなかったんですが、その瞬間から、どこか少しずつ、僕たちの中でカジモドの血を探し始めたのだと思います。どんどん探して行きたいです。
私にとってのカジモド役は、より内向きな役なんじゃないかと感じています。もちろんミュージカルは(外に向けた)パフォーマンスなんですが、今までやってきたどの役よりより内向き。舞台上にカジモドが存在するだけでお客さまにカジモドの悲しさや、悲しさのなかの喜びが伝わるんじゃないかなと感じています。だからあまり出すより(内に向かうことで)...、何か届けることができるんじゃないかなと考えている最中です」
取材・文・撮影:平野祥恵(ぴあ)
【バックナンバー】
【公演情報】
・12月11日(日)~2017年6月25日(日) 四季劇場[秋](東京)
※一部差別的用語がありますが、作品の真意を伝えるためにそのまま使用しています。