スペシャル対談! 平原慎太郎×古家優里

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●ダンス界の俊英ふたりが集結!●

6月末にソロダンス公演を控える平原慎太郎さんと、7月末に主宰するプロジェクト大山の新作公演を行う古家優里さんの対談が実現しました。片やコンドルズの"若手筆頭ダンサー"としても知られる平原さんと、学生時代はコンドルズの熱心なウォッチャーだったという古家さん。そんな共通項を糸口に、それぞれのダンス感や今後の抱負について、たっぷりと語っていただきました。

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古家「『NOCON』は何回目ですか?」
平原「去年4月に続いて2回目です」

古家「"ノーコン"というのはノー・コントロールの意味?」
平原「それもあるし、あとノー・コンシャスとか。ノー・コンドルズと思った人もいたみたいだけど(笑)」
古家「チラシの写真、炎上しちゃってますね。どうしてこの写真を選んだんですか?」


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平原慎太郎ダンス公演「NOCON ボレリッシュ」
のチラシビジュアル

平原「毎回NOCONは、プロデューサーの勝山さんとふたりでどういうビジュアル・イメージでいくか考えるところから始まるんだよね。前回は学生運動みたいなやつだったんだけど、今回はなんか燃えてるのがいいんじゃないかっていう話になって。で、写真を選んだ後にタイトルを『ボレリッシュ』に決めて」
古家「どういう意味ですか?」
平原「そのものに限りなく近いんだけどそれではないっていう。坂本龍一が『ボレリッシュ』っていう曲を作ってて、それがすごい好きだったんだよね。ダンスの世界ではベジャールの『ボレロ』というのは特別の意味を持つから、あえてそこをはずして、ニセモノっぽい作品を作りたいなと」
古家「"テキスト:前川知大"とチラシにありますけど、前川さんにオファーした理由は?」
平原「前川さんが作・演出した『奇ッ怪 其ノ弐』(世田谷パブリックシアター製作による2011年の演劇作品)や『獣の柱 まとめ*図書館的人生(下)』(2013年5~6月に上演されたイキウメの劇団公演)のステージングを担当させてもらったんだけど、前川さんって、演劇以外のジャンルにもすごく興味があって、しかも詳しいんだよね。そんな人と創作の時間を共にしたいと思って。ダンスって下手したらひとりで作ることも多いけど、そうしないでやってみたかった。"テキスト"と言いつつ、実はまだ文字にはなっていないんだけど、まずは現場に関わってもらうことに意味があるな、と」
――古家さんは、平原さんのコンドルズ以外の活動はご存じですか?
古家実は慎太郎さんの作品をちゃんと観たことはないかもしれないですね」
平原「まあまあだよ、俺の作品(笑)」
古家「(吹き出す)」
平原「良いとまでは言わないけど、悪くはないと思う(笑)」

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NOCONの前回公演より


古家「最初に慎太郎さんがコンドルズに出ているのを観たときは、新鮮でしたね。踊れる人の空気感を持ちながら、ちゃんとコンドルズの感じを捉えていて。こう言っちゃ悪いですが、コンドルズには珍しく、上品でアカデミックというか(笑)」
――平原さんは、金森穣さんが率いるダンス・カンパニー〈Noism〉の出身ですよね。練習量の多さで有名な。
古家「毎日毎日朝から夜まで、でしたか?」
平原「週5と週6を毎週交互に。自分は、最年少だったし、実力が追いついてない分、他人よりも余計にスタジオにいましたね。朝10時から6時までの通常の稽古の後も、8時とか9時とか劇場が閉まるまで。できないということを金森さんは放っておかない人だったから。でもその経験が本当に身になったと思う」

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平原慎太郎

――『ボレリッシュ』は、そんな身体能力を存分に活かしたものになりますか?
平原「そうですね」
――芝居の要素は?
平原「内緒です」
――ダンス・プレイみたいな感じ。
平原「プレイ? playじゃなく、pray(=祈る)のほうに行きたいと思ってます。そこが、前川さんの興味と僕の興味が重なる部分みたいなので」
――さて、プロジェクト大山の公演についてもお訊きしたいと思います。
平原「もう作ってるの?」
古家「ちょいちょいですね」
平原「そもそも優里ちゃんがリードして作るの?」
古家「もともと自分には作りたいという願望が強くあったんですけど、プロジェクト大山は授業や部活の創作活動の延長で始まったので、当初はみんなで作ってる感じでした。2010年のトヨタコレオグラフィアワードぐらいからですね、"構成・振付・演出:古家優里"と打ち出すようになったのは」
平原「(チラシを指して)こういう衣裳にしようというのも優里ちゃんのアイデア?」

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プロジェクト大山「ファンタジー」
のチラシビジュアル

古家「中田ヤスタカさんがプロデュースしたMEGちゃんの『SKIN』のPVに出演することになったときに、たまたまカブリモノだったんですよ。それで、この感じ、私たちに合ってるかも、と」
――髪型を隠してしまうことに抵抗はないんですか?
古家「なんか嫌いだったんですよ。いざ舞台になると、すごい髪を盛ったりとかするのが。いかにも、気合いれました、みたいな感じで。その点でもこの衣裳はすごくいいじゃないですか。安心できるんですよ、これを着ると。帰ってきた感があるっていうか」
平原「じゃあもう、ユニフォームだ。コンドルズでいう学ランだね。みんな同じ服着てるんだけど、逆に個性がわかるんだよね。小さいとか、ちょっと太ってるなとか、細いなとか」
古家「足の形とかも」
平原「実はすごい個性的になるっていうのが面白いよね。顔がわからなくても体で個性がわかるっていう」
――プロジェクト大山の作品は、独特のユーモアがありますよね。
古家「それはたぶん、私がひとりでニヤニヤしながら、最初に自分で笑っちゃうみたいな感じで作ってるからかもしれないし、女子大のノリというか、遊びながら、ふざけながら出てくるものがあるからだと思います」

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プロジェクト大山の過去の公演より
(C)HARU

――そしてテイストが日本人っぽいですよね。
古家「どうあがいても日本人の体なので。それと、高3までバレエをやっていましたが、限界はわかりますよね、自分はバレエではやっていけないなと。それで、バレエのストイックな美しさとは違う、この体を活かした表現を追求したいと思ったんです。日本人というか、インドやカンボジアの舞踊で見られる、生命力あふれる、ブリッとした体のラインが好きで。スタイリッシュなものより有機的なものに惹かれるんですね」
――一対して、平原さんはスタイリッシュ系という感じがします。
平原「いやいや、なるほどなと思って聞いてました。たぶん表現の仕方が違うだけで、僕も生命や死に興味があるので。その対比から生きる力や生きる方法が浮き彫りになる気がするんです。物質的に肉体を使えば使うほど、ダンサーが挨拶のために舞台で立ち上がる瞬間とか、作品が終わった後で、何か生きてる実感が伝わる、みたいなのが好きだったりするんですよね」
――新作を作るとき、古家さんは何をとっかかりにしますか?
古家「私はすごい漠然としたところから始めるんですよ。"世界と私"みたいな」
平原「ざっくりしてるね(笑)」
古家「ゆるーい感じから始めて、なんかポンって、気になる言葉が浮かんでくるのを待つんです。誰かとしゃべっているときに、"あっ『ホルスタイン』かも!"って。最初はなぜ引っかかるのかわからない状態ですけど、引っかかったってことは何かきっとあるんだろうって、無理矢理探すような感じですね。今回は、『ファンタジー』と『パラダイス』が浮かんで、最後は挙手で決めました」
――で、『ファンタジー』に。
古家「"所詮ファンタジーじゃん"みたいな。そういう感覚でタイトルはつけています。地に足がつかないまま今を生きてる。そういう感覚でしょうか」
――そこからアイデアを広げてひとつの作品にしていくんですね?
古家「わかりやすくいうと、カビが生える感じです。少しずつ増殖していって、それがひとつにつながっていくような。今回は、まだ私の中で固まっていなくて、ゼリー状ですね。いつもは、一部に固形物ができ始めれば、そこから固まり始めたりするんだけど、今回はひとつに集約させなくてもいいかなと思っているんです。ファンタジーなので。もっとこう、いろんなところに向かうような作品でいいんじゃないかと」
平原「帽子作家の人がクレジットされているのは、どうして?」
古家「スソ アキコさんにお願いしたんですけど、ファンタジーは人間が頭の中で作り始めた世界だというのがあって、そのイメージにつながるかなと思ったんです」
平原「カブリモノの上に帽子。2層式だね」
――日替りゲストが豪華ですね。
古家「常盤貴子さん、白井晃さん、野村萬斎さんに登場していただくことになりました」
――平原さんも古家さんも、ステージングで参加したり、演劇との関わりが深いですね。
古家「お芝居の稽古で、作っていく過程を見るのはすごく面白いですね。演出家と俳優ってそういうやりとりするんだ、とか。ダンサーと振付家のやりとりとまた違うんですよね」
――おふたりの原点に話を移したいと思います。ともにスタートはバレエですね。始めたのはいつからですか?
古家「私は9歳」
平原「僕は13歳から」
古家「13歳って、思春期に入る時期ですよね」
平原「小学校のとき、太ってたんだよね。野球やってたんだけど、冬になると特に(笑)。だから、体を動かさなきゃいけないと思うようになって、だったらダンスだろうと。TRFが『EZ DO DANCE』を歌っていた頃で、かっこいいなと思ってた。で、習いに行けるところを探したんだけど、当時小樽にはなかったんだよね、ヒップホップのスタジオが。うちの親は少し天然なので、何を思ったか、バレエ研究所に僕を連れてったんですよ。そうしたら、バレエの先生もユニークな方で、"バレエをやっていればどんな踊りにも対応できる"と。中学校ではすごいバカにされたけど、すごい楽しかったな。まさに『リトルダンサー』だよね。部活で野球をやった後にバレエに通ってた」
古家「中学生って元気が余ってますよね」
平原「で、高校生になって1時間離れた札幌までヒップホップを習いに行くようになって。バレエも札幌の教室に変わったんだけど、そこがコンテンポラリー・ダンスの振付家を年に一度招いていて、ある年に金森さんがやってきてそこの教室の好意で出演させてもらったんだ。それがもう決定打。自分はもうコンテンポラリーだなと思ってしまった。それでオーディションを受けて、2004年の結成からNoismに参加するようになったんだ」
――古家さんは熊本出身ですね。バレエを始めたきっかけは?
古家「幼なじみのヨシコちゃんの影響です。小学校1年のときに出会ったんですけど、なんかすごい不思議なことをやる子で。私も一緒になって、魔女みたいに箒に乗って飛ぶ練習とか、ひたすら側転して修行したり、忍者になろうとしたりしてました。そんなアクティブなことばっかりしているうちに、小3の終わりくらいに、バレエがやりたくなって。始めてみたのはいいんですけど、できないんですよね、簡単には。でも負けず嫌いだったので、やめることはありませんでした。ピアノの場合、稽古の日までに練習しておかなきゃいけないというのが自分にはダメで。でもバレエは行きさえすればいい、その時間だけがんばればいい、っていうので続けられたんです。負けず嫌いなのに、怠け者なんですね」

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古家優里

――そして、お茶の水女子大学では舞踊を専攻しますね。
古家「高校が進学校だったんですけど、すごく頭のいい人がいっぱいいて、この人たちと違うものは何があるんだろうと。ずっとバレエをやってきていたので、ダンスというものが自分の中でアイデンティティとして大きくなっていました。それと、哲学に興味を持ち始めた時期でもあったので、身体を介して人間について考えたいと思うようになったんです」
――バレエからコンテンポラリー・ダンスにシフトしたのはいつですか?
古家「地方出身のバレエ経験者は誰しもが経験する道だと思いますけど。東京でダンスを観ると、まずは崩壊するんですね、自分の中のダンス美意識みたいなのが。"うわっ、すごい汚い動きしてる!"って。"これ踊り?"みたいな。"なんでわざわざあんな、グチャグチャな動きをするんだろう?""私が今までやってきた踊りって何だったんだろう"と。それで、授業の一環で創作していく中で、ダンスとは何かというのを改めて積み上げていくんです」
――そういう人がコンドルズに出会うと衝撃でしょうね。
古家「授業でビデオで観たのが最初でした。女性ばかりで踊ってきたから、男性の無骨な踊りっていうのに興味を抱いて、熊本の実家に帰った際に、『スターダストメモリー』(2003年)の福岡公演を観に行って。もう、目から鱗ですよね」
――卒論もコンドルズについてだったとか。
古家「"コンドルズの考えさせない演出に対する考察"みたいなことを書いた気がします」
――平原さんはなぜコンドルズに参加するようになったんでしょう?
平原「近藤良平さんが2010年に新国立劇場で振付・演出した『トリプル・ビル』に出演したんです、大貫勇輔とのデュオで。その打ち上げの場にコンドルズのメンバーが現れて、"今度うちに出てみないか"といきなり誘われたんですね。それがきっかけです。もともと、コンドルズは、DVDで観て大好きだったので」
――どうですか、コンドルズは?
平原「楽しいですね」

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コンドルズの公演より
(C)HARU

――近藤さんはどんな存在?
平原「歳の離れた兄ちゃんみたいな感じなんですよね。ふたりで飲みに行ったりもしないし、しゃべる機会は少ないですけど、僕のことを知ってるんですよね、完全に。それと、あの人の尊敬できるところは、いまだにセッションハウスに若手の公演を観に行ったりしてるんですよ。キャリアのある人はなかなか行かなくなっちゃうものだけど、そういうところからも、ダンスを愛していることがわかりますね」
――平原さんは、文化庁の「新進芸術家海外研修制度」で秋から留学されるんですよね。
平原「スペインのマドリッドに行きます。すごく尊敬するカルメン・ワーナーという女性の振付家がいるんですけど、その人のもとで勉強することが今必要なんじゃないかと思ったんです」
――今度のソロ公演はその前の集大成ですね。
平原「そうですね。吐き出せるだけ吐き出したいと思います」
――古家さんは海外への志向は?
古家「一回フランスに踊りに行ったことがあって、そこで自分たちの日本人としてのアイデンティティを感じたので、海外でもまた踊ってみたいです」
――古家さんも平原さんのように他の振付家から学んでみたくはないですか?
古家「そうですね。そろそろ私も外に出かけて、いろいろ吸収したいなというのはありますね。どういう感じなんですか? 自分も作品を作っていて、他の振付家から学ぶっていう感覚は。スーッと自分の中に入ってくるもんなんですか?」
平原「自分に足りないことって、自分だけでやってる分には気づくことができないと思うんだよね。でも他のクリエイターから学ぶことで、それがわかる。"あ、自分にはこのセンスがなかったんだ"って。行くって決めたのは、やっぱり、その気づきがほしかったから。ホント、ないものだらけでビックリするよ?」
――プロジェクト大山に外部から振付家を呼んだら、古家さんの刺激になりそうですね。
古家「面白いですね。でも私がまったく踊れないと思いますけど」
平原「俺がやったりして」
古家「でも本当に踊れないですよ、私」
平原「カブリモノを脱がすことから始めようかな(笑)」
古家「実際、誰かの作品を踊りたいっていう気持ちは常々あるんですよ。ただすごく不器用なので。私以外のメンバーは大丈夫だと思いますけど」
平原「実現したら面白いかもね」


《公演概要》
平原慎太郎ソロダンス公演「NOCON ボレリッシュ」
6月29日(土)
東京・あうるすぽっと

プロジェクト大山「ファンタジー」
7月26日(金)・27日(土) 
東京・シアタートラム 


■プロフィール
ひらはら・しんたろう 北海道小樽市出身。2004年から2007年まで金森穣が主宰する〈Noism〉に所属。その後、フリーランスに転身。〈瞬project〉、〈C/Ompany〉に参加し、他のダンサーとの共同制作を行う。2010年からは近藤良平率いるコンドルズに参加。現在〈OrganWorks〉名義で、自身の創作活動も行う。

ふるいえ・ゆうり 熊本県出身。熊本バレエ研究所で学び、お茶の水女子大学で舞踊を専攻。大学の同級生たちと立ち上げたダンスグループ〈プロジェクト大山〉主宰。振付家、ダンサー。2009年横浜ダンスコレクションにて「審査員賞」、2010年トヨタコレオグレフィアワードにて「次代を担う振付家賞」を受賞。

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