尾上菊之助が企画から取り組んだ新作歌舞伎『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』が歌舞伎座で上演中です。
10月1日に初日の幕を開けたこの舞台は、開幕するやいなや、SNSを中心に"面白かった!"という感想が多く見られ、口コミ効果で評判が広がっています。
世界最長の叙事詩「マハーバーラタ」を歌舞伎化するという、誰もが想像すらできなかったこの企画は、菊之助が2014年にSPACの『マハーバーラタ』を観たとき、これを歌舞伎にできないかと考えたそうです。
本作は、そうした菊之助の熱い思いから、自ら脚本の製作、振付等にも携わり、何度も打ち合わせを重ねて創られたんだとか。
インドの宗教や哲学、神話の要素が詰まったこの物語を、日本の伝統芸能である歌舞伎でどのように上演するのか...。
実際の舞台を観る前までは、半信半疑のような気持ちの方も多かったのではないでしょうか。
ところが、そんな外野の了見の狭さを軽々と飛び越え、眼前には今まで観たことのない、全く新しい世界が出現していました!
序幕から圧巻でした。
古いお堂のような場所に居並ぶ神々は、黄金を身にまとっているかのように煌びやか。
それでいてケバケバしさはなく、神聖さを感じさせます。
衣裳を手がけたのは、SPACの高橋佳代さん。
インドのカタカリダンスをイメージして作られたそうです。
大黒天(だいこくてん・楽善)、シヴァ神(菊之助)、那羅延天(ならえんてん・菊五郎)、梵天(ぼんてん・松也)が微睡んでいると、竹本の語りに合わせてひとりずつ目を覚まします。
この演出は『忠臣蔵』の大序を意識して作られたのだな、と気付くと同時に「やっぱりこの作品は歌舞伎なのだ」と腑に落ちた瞬間だったようにも思います。
「マハーバーラタ戦記」序幕 左より 太陽神(左團次)、大黒天(楽善)、シヴァ神(菊之助)、那羅延天(菊五郎)、梵天(松也)、帝釈天(鴈治郎)[(c)松竹]
さて、この序幕で語られる神々の会話は、後の物語に大きく関わる話をしています。
争いを繰り返す人間が原因で世界が滅んでしまうから、この世を一度終わらせてしまおうか、と人間からしてみれば"物騒"な内容を議論しています。
世界を救う方法を模索している神々のうち、太陽神(たいようしん・左團次)は"慈愛が世界を救う"と言い、反対に帝釈天(たいしゃくてん・鴈治郎)は"武力で世界を支配すれば争いはなくなる"と説きます。
そこで、那羅延天は二神に各々子をもうけ、その子たちがこの世界をどうするか、ふたつの案を試してみようと提案します。
神々の思惑で、この世に生を受けたのが、菊之助演じる迦楼奈(かるな)と松也演じる阿龍樹雷(あるじゅら)です。
ふたりは同じ母・汲手姫(くんてぃひめ・梅枝のちに時蔵)から生まれるのですが、迦楼奈の父は太陽神、阿龍樹雷の父は帝釈天と、別々の宿命を背負っていたのです。
物語は、青年へと成長した迦楼奈を軸に描かれますが、運命の糸に導かれるように、王権争いの渦中へと巻き込まれていきます。
そのキーマンともいうべき存在が七之助演じる鶴妖朶(づるようだ)王女。
彼女は、出自の正しさから自分こそが王を継ぐに相応しいと正統性を主張します。
ここだけ聞くと、鶴妖朶は正しいようにも思えますが、邪魔者を殺そうとしたり、罠を仕掛けたりとなかなかの策略家で恐ろしい女性です。
そんな鶴妖朶に窮地を救われ、恩を感じた迦楼奈は永遠の友となる約束を交わします。
こうして、阿龍樹雷たち兄弟(五王子)と迦楼奈も加わった鶴妖朶たちとの王権争いの幕が切って落とされたのです。
「マハーバーラタ戦記」序幕 左より 迦楼奈(菊之助)、阿龍樹雷(松也)、汲手姫(時蔵)、五王子の教育係の仙人・久理修那(菊五郎)[(c)松竹]
上演時間は約4時間の大作。
人間関係もそれなりに複雑ですが、わかりやすい構成になっているためか、特に混乱することはありません。
このあたりは、脚本の青木豪さん、演出の宮城聰さん、そして菊之助が何度も会議を重ねて練り上げた賜物でしょう。
また、耳馴染みの少ないインドの人名では物語が理解できないのではないか、という杞憂もありましたが、こちらも俳優の声を通して聞いていくうちに、自然と覚えてしまうから不思議です。
ビジュアル面では、先に神々の衣裳について触れましたが、大道具も絵巻物に見立てた屏風絵がオリエンタルな雰囲気を表して印象的です。
もうひとつの大きな特徴は音楽。
歌舞伎で使われる長唄、鳴物、竹本に加え、随所にパーカッションの音色がまざり合い、独特の世界観を紡いでいきます。
SPACの棚川寛子さんがこの舞台のために40曲以上を書き下ろされたそうですが、宮城さんはこの音の配分に随分と苦心されたと伺いました。
もちろん、歌舞伎らしい様式や所作もそこここで使われています。
例えば、序幕・四場で五人の王子が名乗りをあげるところは「白浪五人男」ですし、両花道を使った演出や衣裳のぶっ返り、六方などなど。
歌舞伎ならではの手法や演出が盛り込まれているせいか、音楽や衣裳・美術にいつもと違う要素があっても、違和感なく受け入れられた感じです。
「マハーバーラタ戦記」大詰 左より 迦楼奈(菊之助)、鶴妖朶の弟・道不奢早無(片岡亀蔵)、鶴妖朶(七之助)[(c)松竹]
見せ場の中でも、大詰の戦いの場面は特にみどころが盛りだくさん。
両花道を使った効果的な演出をはじめ、甲冑の衣裳デザインなど視覚的な楽しさから、壮絶なまでの激しい立ち廻りまで、次々に繰り出される展開に時が経つのを忘れてしまうほど。
「マハーバーラタ戦記」大詰 中央 迦楼奈(菊之助)[(c)松竹]
エンタテイメント的な面白さと同時に、この物語を通して、現在(いま)も争いが絶えることのない世界を生きている私たちに出来ることは何か?を問いかけられている気がしました。
初日を終えた菊五郎さん、菊之助さん、そして演出の宮城聡さんが囲み取材に応じました。
――初日を終えられた感想をお聞かせください。
菊之助
「2014年から準備を始めてまいりまして、初日が開いて本当に嬉しく思っています」
菊五郎
「疲れた。この衣裳、重たいんですよ。だから全然動きが取れなくてね(苦笑)」
――インドの作品を題材にしようと思ったのは?
菊之助
「(日印友好交流年記念の)節目の年ですし、この叙事詩をきっかけにインドと日本の文化の交流ができればと思いまして。インドの舞台はなかなか少ないですからね。インドの哲学や宗教のことも織り交ぜながら、衣裳もインドの伝統的なカタカリのデザインを取り入れさせていただきました」
宮城
「世界最長の文学と言われているマハーバーラタを、1日ものの芝居にしてもらうというのは荒技のようです。菊之助さん、青木さんと3人で何度も会議を重ね、いろいろな方のお知恵をいただいて進めてまいりました。カルナを主人公にしようという青木さんの閃きがあったところから急に車輪が回転しだしまして。最初は、青木さんがなぜカルナという不思議なキャラクターを主役にしようと考えたのかと思いましたが、よく考えてみたら、カルナのような人こそ今日(現在)の世界に置いて必要な人なんですよね。二つの陣営に別れて、どちらの陣営にも属していながら、どちらにも属していない、そういう人が本当にこの世を救うかもしれない。希望というか期待を担う、そういう人こそまさに主役に相応しい。それがわかってきてから、この芝居が急に形になった気がします」
――新作の手応えは如何でしょう?
菊五郎
「あたらしい作品というのは必ず贅肉がついているからね。その贅肉を少しずつ削ぎ落としたあと、(俳優の細やかな)演技も必要になってきます。これからこの作品が練り上げられてどんどんいいものになっていくと思います」
――菊之助さんはインドへ実際に行かれたそうですね
菊之助
「ガンジス川や、インドで祈りを捧げている人々を実際に見てから、改めて脚本を読むと、マハーバーラタの世界を身近に感じることができたので、セリフにもインドの固有名詞とか出てきますので、それはインドの地で空気を感じたからこそ説得力を持ったセリフが言えるんじゃないのかなと思ってます」
――原作はかなり長い話ですよね
菊五郎
「歌舞伎って、作家が何十年かかけて書き上げたものを3、4時間にまとめていいとこ取りでやってしまう。そういう歌舞伎のエッセンスの上手さっていうのは代々伝わっているんですよ。これだって、全部やったら大変でしょ?きっと。何年かかってもできないようなものでも上手くまとめちゃうところが歌舞伎のすごいところだね」
――構想にはどのくらいかかったのですか?
菊之助
「およそ3年くらいです。インドの長い叙事詩ですが、歌舞伎のエッセンスでマハーバーラタのいいところを抽出して、お客様に楽しんでいただけるエンターテイメントになってると思います。叙事詩や歌舞伎と堅苦しく考えずに、肩の力を抜いて楽しんでいただける作品になっていると思ってます」
初日囲み 左より 演出:宮城聰、尾上菊之助、尾上菊五郎[(c)松竹]