映画版『ミス・サイゴン』こと、『ミス・サイゴン:25周年記念公演 in ロンドン』の公開が、来週に迫ってきました!
1989年の9月20日、ロンドン・ウエストエンドで幕を開け、世界中で愛され続ける、ミュージカル史に残る名作『ミス・サイゴン』。
ベトナム戦争末期のサイゴンを舞台に、ナイトクラブで働く少女・キムとアメリカ兵クリスの悲恋を中心に、戦争下で生きる人々の葛藤や苦しみ、愛が描かれる壮大なドラマですが、この映画はロンドン版25周年にあたる2014年9月、ロンドンのプリンス・エドワード・シアターで上演された25周年記念公演を、最新の映像技術で撮影、映画化したものです。
日本では1992年に初演。
日本版25周年の記念の年にこの映画版は公開されることとなります。
『ミス・サイゴン:25周年記念公演 in ロンドン』は3月10日(金)より、
TOHOシネマズ 日劇にてロードーショー(全国順次公開)。
世界中のサイゴンファン垂涎のスペシャルな記念公演の映像を映画館の大スクリーンで観られる日が待ち遠しいところですが、そんな中、なんとエンジニア役を演じたジョン・ジョン・ブリオネスさんと、<25周年記念スペシャル・フィナーレ>に出演したオリジナル・キャストのレア・サロンガさんの独占インタビューが到着しました!
今回はレア・サロンガのインタビューをお届けします。
レア・サロンガ(Lea Salonga)
フィリピン出身。1971生まれ。
『ミス・サイゴン』キム役オリジナルキャスト(当映画・記念公演のスペシャル・フィナーレにも登場)。キム役はロンドンに続きブロードウェイ版でも演じ、トニー賞を受賞。『レ・ミゼラブル』ではアジア人初のエポニーヌ役を演じた。『レ・ミゼラブル』25周年コンサートでもファンテーヌ役を務めている。映画『アラジン』『ムーラン』のヒロインの声も担当、ディズニーランドよりディズニー・レジェンドの称号を授与された。
レアさん、過去に来日経験あり。
出演したコンサート「4Stars」(2013年)の記事はコチラ→★
◆ レア・サロンガ インタビュー ◆
●『ミス・サイゴン』以前は...
――子どもの頃『王様と私』に出演されてたレアさんですが、子どもの頃からミュージカル女優になるのが夢だったのでしょうか?
「子どもの頃は歌うのも楽しかったけれど、本当は医者にもなりたいと思っていて、大学では生物学を専攻していたのよ。だから、ミュージカル俳優、またはフルタイムの歌手になることをずっと夢見ていたとは言えないけれど、今はこうやって俳優と歌手をやっている。全てうまくいったわ」
――『ミス・サイゴン』キム役のオーディションを受けたきっかけは何ですか? またオーディションでのエピソードをお聞かせください。
「私が所属していた歌手の組合の組合長からオーディションのことを聞いたの。彼女は、私にトライするべきだと言って、電話で長々と私の母を説得してくれたの。もし役をもらえなかったとしても、人生は変わらず進むんだからと、私たちはトライすることに決めた。もし役をもらえたら、そのときにどうするか考えようって。あの決断は絶対に後悔しないわ。私たちに、演技する機会以上のものを与えてくれたんだもの」
●『ミス・サイゴン』について
――1989年初演の初日、その前の、稽古場でのエピソードをお聞かせください。
「この作品が初演を迎える頃、私はとても若かった。かなり保守的で温室育ちだった私には、ショックを受けることがたくさんあったわ。露出度の高い衣裳や、クリスとのロマンティックで情熱的なシーンに慣れるのは大変だった。その過程では、大きな信頼と、全ては最終的にはうまくいくという確信が必要だった。衣裳のスケッチを見て恐れおののき、衣裳あわせでは更に恐ろしくなり、舞台上で男性とキスをすると知ってとてもストレスを感じたわ。おかげさまで、最終的には全て乗り切ったわ」
――『ミス・サイゴン』は大作としてプレビュー公演前から大変な話題となっていました。プレッシャーはありましたか?
「例外なく、全員がプレッシャーを感じていたわ。ブーブリルとシェーンベルクの大ヒットした『レ・ミゼラブル』の次の作品だったから、皆が彼らの次回作に注目していた。それまでストレートプレイやオペラを多く演出していたニコラス・ハイトナーの最初のミュージカルだったし、舞台や映画で活躍していたジョナサン・プライスにとっても最初のミュージカルだった。そして、それが私のウエストエンドでのデビューだった。だから、プレッシャーを感じていたどころの話ではなかった。でも、ご存じの通り、『ミス・サイゴン』は多くの人に愛され、何度も公演される作品になったわ」
――初日はどのような状況でしたか?
「セットの事故があって、役者たちは2つの大きな舞台の間で動けない状態にあったので、最初の2回のプレビュー公演はキャンセルしなければならなかった。私たちは、丸1日を使って、全ての場面転換で問題がないか確認し、舞台上の全ての人の安全を第一優先するようにした。そしてもう1日使って、衣裳を着用したリハーサルを行い、安全を確認したの。だから、最初のプレビュー公演を行うころには、皆、音楽と物語に集中することができた。そして、この作品の最初の(その後も何度もあったけれど、その最初の)スタンディングオベーションを受けたのよ。オープニングナイトは、友人や家族が観客だったので、カーテンコールが始まる前に、皆総立ちだったわ。最後のカーテンコールが終わると(通常は3回か4回)、皆、叫んだり、声援を送ったりしてくれて、喜んでいたわ」
――レアさんのキーが高かったのでそれに合わせて楽曲が書き直されたというのは本当ですか?
「OK、この話にはいろいろな段階があるのよ。まず、最初のリハーサルで、私の声にあわせてキーが設定されたの。でも、公演が続くにつれて、私には、そのキーで常にやっていくには高すぎるようになった。だから、キーを少し下げてもらって(いくつかの部分で、半音だけ)、週を通して、高いレベルの演技を保つことができた。公演スケジュールも落ち着いてきて、1週間に8公演から5公演になり、4公演になった。ブロードウェイでは、6公演行い、ちょうどよかったわ」
――キム役を演じるにあたって演出家から言われたことで印象に残っていることは?
「変だったのを覚えているわ。思い出せるのは、キャメロンとニコラスが、私と私の母をキャメロンのオフィスで座らせて言ったの。「キャストには入っているけれど、どの役になるかわからない」って。私はただ「OK」って言って、飛び跳ねることも、興奮することもなかった。ミーティングの間中、ずっと平然としていたわ」
――大好きなシーンを教えてください。
「大好きなシーンは選べない。なぜなら、全て、私が演じなければならないひとつのまとまった物語だと思っているからよ。全体として筋が通っていなければならない。でも、キムとトゥイのシーンは全部好きだったわ。やっていて楽しかったもの」
――演じる回数を重ねることで、最初の頃と比べ役に対する認識は変わるものなのでしょうか?
「やっていくにつれて、私自身の価値観が、あまり保守的ではなく、もっとリベラルになっていったので、きわどいシーンもあまり気にならなくなったわ。それに、実際に私自身が恋愛関係をもつようになって、やりやすくなったわ。キムとクリスの関係ももっとわかるようになった。それまでは、皆、理論であったり、受け売りの情報だったのよ」
――エンジニア役のジョナサン・プライスとのエピソードがありましたら教えてください。たくさんあるとは思うのですが...。
「ジョナサンは真剣で(それまで舞台でダンスをしたことがなかったから、本気で取り組んでいたんだと思うわ)、でも静かに面白かったのを覚えているわ。それに彼のことを年取ってると思っていたけど、彼がエンジニア役を演じたときは、今の私よりも若かったんだからショックだわ。彼に会ったときにそう言ったの。面白かったわ」
●『ミス・サイゴン:25周年記念公演 in ロンドン』について
――スペシャル・フィナーレでのご出演でしたが、当日はどのようなお気持ちで臨まれましたか?
「奇妙なことに、緊張して、ワクワクしていたわ。スペシャルフィナーレが始まったら、とても大きな声援があがると予想していたので、最初に歌う曲のキーに集中しなければならなかった。でも、とても興奮していたわ。だって、なんてこと!このショーの25周年を祝うのよ!記念すべき出来事よ!とにかく、そこにいるだけでとっても幸せだったわ」
――25年以上お客様に支持されたこの作品の魅力は何だとお考えですか?
「観客の共感を呼ぶのは、そこにリアルな真実があるかどうかということだと思うわ。異なる世界のふたりが出会い、恋に落ちる物語というのは、『ロミオとジュリエット』のような話だわ。『ウエストサイド物語』や『アイランド』もそうだし、もっと遡るのであれば、プッチーニの『蝶々夫人』もそう。とてもリアルで現実的な戦争を舞台とした、悲運の恋人たちの物語に、観客は何度も足を運ぶのよ。それに、音楽が気持ちを高揚させ、ゴージャスだわ。今日も世界中で起こっている紛争を考えると、現実の問題にも関連性がある物語だわ」
――スペシャル・フィナーレで、ジョナサン・プライスと同じ舞台に立ったときのお気持ちをお聞かせください。
「実際には、ジョナサンとはあまり一緒に舞台に立っていないのだけれど(その栄誉は、3月からブロードウェイでエンジニア役を演じるジョン・ジョンのものよ)、リハーサルで彼と一緒に時間を過ごしたり、彼が舞台に立つ姿を見られてよかったわ。まあ、彼は今でも素晴らしいわ」
――サイモン・ホウマンと久しぶりにデュエットした感想をお聞かせください。
「まるで全く時間がたっていなかったみたい。誰かと一緒にずっと演じていると、深い友情関係が築かれて、その後どんなに時間がたっていても、最後に終わったところからまた始めるようなものなの。また彼と一緒に歌えて、素晴らしかったわ。今でもハンサムね」
――ジョナサンやサイモンとはどのようなお話をされましたか?
「昔話に興じていたわ。それしか覚えていないわ」
――エバ・ノブルザダ(記念公演のキム役)のキムはいかがでしたか?
「彼女は素晴らしいわ。彼女のキムは、異なる感情から生まれているので、最初のプロダクションのためにもともと作られたキムとは違う。でも、まあ、あの子は歌えるわね」
△ エバ・ノブルサダさんのキム。
――彼女とサイゴンについて、キム役について何かお話をされましたか?
「あまり話していないの。私はそういう立場にはない。彼女の演出家の助けを借りて、彼女自身が、自分で発見し、見つけ出さなければならないことがあるのよ」
――キャメロン、コナー、シェーンベルクとはどんな話をされましたか?
「話をするよりも、ショーに向けて一緒に取り組んでいたわ。キャメロンは、いつも歩き回って、全てをチェックしているのよ。彼は私の衣装も承認しなければならなかった。今でも、彼は全てを把握しているのよ。アランとクロード=ミシェルとは、今でも一緒に仕事をしているし、よく会うのよ」
――振り返ってみてあの日はどんな日だったのでしょうか?
「マジカルでファンタスティックな1日だったわ。この日を祝うために、多くの人がいろいろな場所からやってきた。私はマニラから、他にはアメリカやヨーロッパの他の地域からやってきた人もいる。この一夜のためだけに。高校や大学の同窓会みたいなもので、とても楽しかったわ」
――その特別な公演が映画版になり、世界中の隅々まで『ミス・サイゴン』が届けられます。
「プリンス・エドワード劇場にいなかった人たちとも共有できて、また『ミス・サイゴン』を愛する観客が、数年後でも、あのガラ公演を見て一緒に祝えるということは、とても幸せだわ」
――演劇が映画になるわけですが『ミス・サイゴン』の良さは伝わると思いますか?
「自分の数フィート先に立っている人間が、実際に歌ったり、演じたり、踊ったりしているのを見る経験に代わりうるものはないわ。でも、全ての人が、ロンドンやNYにショーを見に行くことができるわけではないから、映画館で見られるということは素晴らしいわ。多くのカメラや完璧なサウンドミックで、きちんとショーが収録されているのよ。それに、クロースアップは、ライブでは見られないものよね」
――日本での映画の公開は2017年ですが、ちょうど日本初演から25年目の年なんです。日本で映画の公開を楽しみにしているお客様にメッセージをお願いいたします。
「観客の皆さんに楽しんでもらいたいわ!『ミス・サイゴン』は日本でも非常に人気があると聞いているので、映画館で見る人たちも、きっとこのショーを大好きになるわ」
●日本について
――2013年、2014年と来日されましたが、日本での思い出はありますか?
「とにかくよく食べたのを覚えているわ。食べるのが大好きなの。日本人のハーフである夫も一緒に行って、私たちは食べ続けた。どこに行っても、とにかく楽しかったわ。城田優(彼は素晴らしい)、シエラ・ボーゲス、ラミン・カリムルーと演じたのも覚えているわ。小さな家族みたいになって、今でも連絡をとっているのよ」
――食事は何がおいしかったですか?
「何でも!全部好き。何でも言ってみて、多分食べたことがあるし、好きなはずよ」
――『となりのトトロ』の吹き替えをされましたが、スタジオジブリのアニメはお好きですか?吹き替えの際のエピソードがありましたらお聞かせください。
「私のキャラクターはあまり台詞がなかったので、すぐに収録は終わってしまったわ。でも、宮崎駿の映画の吹替えをするなんて、素晴らしい経験だったわ。『千と千尋の神隠し』が大好きだったので、いつか彼の作品に携わりたいと思っていて、願いがかなったのよ!」
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『ミス・サイゴン:25周年記念公演 in ロンドン』日本版予告
(サイゴン陥落のシーンのカメラアングル、凄い臨場感ですよ!)
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