悪い芝居リインカーネーション『春よ行くな、』 大原研二&山崎彬インタビュー

チケット情報はこちら


悪い芝居リインカーネーション『春よ行くな、』(作・演出:山崎彬)が京都芸術センター・講堂で開幕した。リインカーネーション(再生・輪廻)と銘打ち、多彩な劇団から客演を迎えて、過去作品の"再生"に挑んだ企画だ。過去作品に取り組むのは劇団初。"再生"へ向けDULL-COLORED POP所属で、今回の客演でもある大原研二が山崎彬にインタビュー。生まれ変わる『春よ行くな、』に迫る。

KAT_2021gekipia.jpg


大原 リインカーネーション公演で『春よ行くな』(2013年初演)を選んだのは、何か確信があってなのかな?

山崎 ここんところバンド演奏があって歌ってという、どちからといえば派手でお祭りみたいな作品が多かったので、そうじゃないものをやりたいなっていうのが前提としてあったんです。再演的なものにするか新作にするのかははっきり決めずプロデュース公演にしようとなったとき、まずは客演を呼ぼうと一緒にやりたい人に声をかけていきました。その過程で、昔の作品がいいというのが出てきて、一番いろいろ試せそうだなとしっくりきたのが『春よ行くな』だった。自分の中で完成度は高かったけど、まだまだ可能性があるという不思議な感覚が残った作品やったので。

大原  最近の作風と『春よ行くな』は、ちょっと違う傾向だなと思うんだけど。

山崎 僕的には『春よ行くな』も、『スーパーふぃクション』(2013年)も『キスインヘル』(2014年)も『メロメロたち』(2015年)も、根っこは同じ。ドブの底に溜まったヘドロのちょっと上の水、ヘドロがあるからこそめっちゃ透明な部分みたいなものを描いていると思ってるんですけどね。

大原 初演時は、最初はストレートプレイの芝居をやるように普通に稽古をしていて、それが、だんだんと身体を多用した表現が加わった演出になっていったと話してたよね。

山崎 そうですね。例えば、ファーストシーンだったら、一組の男女が終電を逃して狭い部屋に二人でいて駆け引きがあるというのを、いわゆる会話劇でやってたんです。けれど、稽古していく中で、ただしゃべっているだけじゃ足りないものが見えてきた。伝えたいものが「会話」として出てくるんじゃなくて、「伝えようとすること」を僕は伝えたかったんだと気づいた。それをやるためには役者の身体が揺れているだとか、常に息や呼吸が動いているみたいなものに行き着いた。今回はその方法論を使って、新たなものを作っているという感じです。

大原 僕は初演を観ていますが、キャストの中には観ていない人もいるよね。

山崎 初演に出演している人が3人、初演を観てる人が2人、初演には出会ってない人が3人。良いバランス。一応、みんなに「DVDとか観ますか?」って言ったら、観てない人はとりあえず観る、出てる人は思い出し程度に、観た人は「ちょっと観るのはやめときます」って。

大原 僕も観なかった。

山崎 観るか観ないか、その選択をするってこと自体も人としても愛おしいし、なんかそれが良い効果になると思ったり、ああ再演の面白さってここにもあるなぁと思ったり。今回はスタッフも意図的に変えていて、再演だからこそ作品と面白く戦うっていうのがありましたね。

KAT_2067gekipia.jpg

大原 一緒にやってみて、作家と演出家の山崎彬が、ちゃんと分かれているなと感じたのだけど、ほかの作品でもそう?

山崎 できなさそうな物を書こうと、いつも思うんですよね。だからト書きでも、「上手から出てくる」みたいなト書きとかは絶対に書きたくない。飛行機の設計図を書くっていうより、空を飛びたいって想いと空を飛んだらこんな良い事あるよねみたいなものを書いて、それを演出家に渡して飛行機をそっから作ってもらうみたいなイメージ。飛行機を作ろうとしていて、気づいたら戦車を作っていたでもいい。作家としては、演出家に渡す手紙として、どうとでも作れるようなものを書きます。書いてる段階で完成されちゃってると、役者の芝居にも、自分がイメージしてたものをはめちゃうから。

大原 確かにト書きが特徴的だと思う。そして、読み物としての完成系もイメージしやすい。

山崎 役者って、作者本人より本を読み込むと思うんですよ。読み込むし、読み間違うし、自分がやる役へ特別な想いみたいなものって絶対に出てくるわけだから、いざ立ち上げる時に、それをより刺激したいんです。希望を言えば、台本も文字を大きくしたり色つけたり、紙も黄色にしたりとかしたいんですけど。役者がちょっとでも想像を巡らせることができる本を書きたいんです。

大原 今回の『春よ行くな、』では、言葉にならない部分を見せることを目指してるよね。でも、そこにアクセスするためには言葉も必要で、さらに役者の独自の身体の使い方が、別な力を与えてくれるという演出に行き着いている。言葉と身体性という一見、バッティングしそうなものを同時に扱おうとするのは、言葉の何を信用しているからですか?

KAT_2036gekipia.jpg

山崎 (言葉は)信用はしていないですね。役者はせりふを覚えた方が自由度が増すと思うんです。けれど、この作品の場合、体を動かしてみたことによってせりふが出てこなくなってる時があって、その時のほうが見ていて信用できる演技になってたりする。稽古の最初でも、「せりふを言ってほしいんだけど、今、せりふが出てこなかった感覚も覚えておいてください」みたいなことを言いましたよね。未来を知ってんのに、どうやって知ってないかのように舞台にいるかが難しくて面白い。僕が俳優として出演するとき、「まずせりふを覚えて言ってください」みたいなのは演出じゃないなって思っちゃう。僕は口語でせりふを書く時でもちょっと詩的にしたいと思って書くんですけど、その言葉をなんで言うのか、言わなきゃいけない運命みたいなものに役者が行き着くのが、面白い。

大原 今回は体を動かしながらしゃべったほうが、彬くん的に信頼できる言葉の響きとか、そういうものが出てきやすいってことかな?

山崎 そうですね。たとえば初演では「体が動いてる事の意味を考えちゃって話が入ってこなくて、面白いと思えなかった」みたいな感想もありました。「まぁ、それはそうだな」と思うんですけど、例えば、「下向いて聞いてるだけでええやん」みたいな会話劇とかを観ると、演劇じゃなくていいって思っちゃう。どうやったら、観に来た人たちが邪推も含めて、 いろいろ想像してもらえるものにできるかを考えたい。僕は、お客さんの想像力っていうのをとにかく信じてる。作り手が思っている以上に、こんな風な解釈するんだみたいなことをくれるし、僕らが伝えたかった以上のものを持って帰ってくれる。『春よ行くな』は、その想像力を刺激する方法を特に模索してた時期に作った作品なんです。

大原 作った時期も関係するんですね。

山崎 今回、そこが苦しんだ部分でもあるんですけど。なんだろう、運命に導かれるようにこのスタイルの演出になったのだけど、そのことを一回知ってるうえで再生して作るっていう作業が初めてで、楽しい部分でもあるんですけど、苦しむところでもありますね。

大原 それって、せりふを言うのと同じ感覚で、なんか不思議。自分は一体何なのっていう状態でいても、決まったタイミングで舞台に上がって、言わなきゃいけないせりふと向かい合う。大変、大変。

山崎 今回はチラシにも書いたんですけど、僕たちがしゃべっている言葉だったり、メモの文字だとか、たとえば音楽の岡田太郎くんだったら歌だとかの、言葉になる前の「なにか」、その人が好きだったり仲良くなりたいだとか何でもいいんですが、そういう想いを可視化した芝居にしたいなって思った。可視化することで、逆にお客さんは、そこに見えていないものまでも想像してくれる。それぐらいお客さんを信用している。

大原 相当信用してるよね。情報量が多くなる事によって混乱をきたすみたいなことを心配して、削りながら作るタイプの演出家も多いけど。

山崎 なにかの物語があったり、劇的なシーンがあるわけでもないのに、みんなが面白かったっていうお芝居とかありますよね。そういう時って、たぶん絶対的に足してるし、お客さん的にも、自分の経験だったり今の状況だったりを足している。座組や公演回数やその時の客席の入りだとかも、全部影響してると思うんですよ。そんぐらい想像できるんだから、僕は今は足す方でいきたい。どんなに足しても、まだお客さんの想像力には足りなくて、引かれてるんじゃないかって思うぐらい。まぁ僕自身が足すほうが楽しいから足してるんですけどね。

KAT_2074gekipia.jpg

大原 その足し算こそ、彬くんぽいっていう気がするね。

山崎 だから、結果的には生バンドがガシャガシャやってんのと、『春よ行くな、』で無音の中、みながごしょごしょ動いてんのって、僕としては一緒なんですよ。

大原 そう言われれば確かにそうだ。足しの美学みたいなものだなとわかると、目立つロックバンドの音楽か役者の身体性かの違いだけなんだとわかる。では、彬くん自身が観客として、観たい物ってどんな感じのもの?

山崎 自分になかった価値観を教えてもらうっていうよりは、自分の中にもともとあった価値観のように感じられるようなものかな。そこには何のメッセージ性もなくてもいいんですけど、「あ、俺、こういうので笑うんだ」とか、「あれ、何でかわかんないけど、僕このやりとりで涙がでる」って気づいたとき、興奮しますね。

大原 呼び覚まされる感じ?

山崎 そういうものを目指したい。演技でも思うんですけど、「なにか」がないと感情って生まれないし、増幅したり萎えたりとかもしないと思うんですよ。そういうものを刺激するためには音楽って分かりやすい。振動もきますしね、嫌でも聞こえるし。意味みたいなものが言葉よりないから、自分でそこに意味を足せる。演劇では、まず目の前にくるものは役者やそこから発せられる言葉だったりとかするけど、それよりもっと前に、音楽のようなものを添えていきたいんです。せりふで特に思うのが、何を言うかより誰が言うかが大事だなってこと。圧倒的な役者が出てきて、長ぜりふを言えば、その内容以前にみんな聞く。そういう時間をつくることのほうが大事。言葉だけなんて、何の価値もないと思う。

大原 言葉がなくても、まずそこに集中してしまうような存在に、僕もなりたいですね。それこそ音楽とかの手助けがなくても、それができたらと思います。『春よ行くな、』の次に、また何か別の作品を再生する気持ちはあるの?

山崎 今は具体的にはないんですけど、再生っていう上演形態は面白いですね。バンドものとかは分かりやすく、曲もあって構成もあって、再演とかに向いてると思うし。昔の作品を別物ぐらいのつもりで、美術も全部、台本も書き換えるくらいでやりたいという思いは増えてきていますね。

大原 初演の時は気づかなかったけど、まだこの先にこんな鉱脈があったんだと掘り下げる楽しさみたいなのかな? 会話劇って再演、再々演とかごとに言葉の聞こえ方が深まったり印象が変わるみたいな面白さを感じたりするけど、今回はどうなんだろう?

warui_haru_2.jpg

山崎 大原さんが言ってたようなことは感じます。でも、それって初演を観ている自分も含めてでしかない。今回は、初演のいろんな方法を試して行き着いた時に気づかなかった事を、同じ本の流れで同じ方法を使うことで気づくっていうよりは、「俺、あの時作ってた環境だとか感覚だとかと変わってる」ってことが一番楽しいですね。「あぁ、ちゃんと変われてた」みたいな。どうやっても絶対、初演のほうが良かったって言う人はいると思う。別にそれはその人の心を動かす事を放棄してるっていうんじゃなく、結局演劇なんて、まぁ演劇だけじゃないんですけど、その日の心持ちで見え方が変わるっていう面白いものだと思うんですよ。もちろんこっちはプロとしてお金をいただく以上、より確率が高く、より刺激のある方法っていうのを知っておくべきだし実践すべきだと思うんですけど、わかりやすく塩大さじ何杯入れて何時間煮込んだらできますみたいなものじゃないところに面白さはあると思うから。究極は演出家やスタッフさん、俳優も含めて、その人が、魅力的で面白くあれば、作品も絶対に面白くなると思ってる。技術の尊さはあるんですけど、まずはそっちのほうを信じたい。だから初演を観たお客さんが、『春よ行くな、』を観て、初演の方が良かったって言ったら僕らの作品が面白くなかったんじゃなくて、お客さん自身が多分、面白くなったんだと思うんです。それぐらいどっか開き直ってるとこあるなあ。

大原 その思想って、彬君の作品の根底っていうか、どの作品にも受け継がれる感じがするな。とにかく魅力的なものがそこにあれば作品は成立するという。あー、彬くんっぽいなって思う。

山崎 だから、僕は役者さんとは、どういう寄り添い方をすればその人が光るか、みたいな事を一番考えます。最終的にせりふがどうとか、この時に役の感情がどうとか、もちろんディスカッションして深めますけど、最終的に役者がちゃんと不安を持ってて、でもちゃんと自分は無敵だって思えて立ってる状態。その矛盾している状態がやっぱ一番面白い。その良いバランスみたいなんを育てるのが稽古だと思ってる。

warui_haru_1.jpg

大原 結局完成はねぇ、本番の舞台の上に立たないと見えてこないしね。わかんないまま、胸はってりゃいいんだっていうことだね。そのことも本番に入っていくと、また見えたり見えなくなったりして、きっとそこもこの演出家は楽しむんだろうな

山崎 そうですね、その完成がより見えない作品を稽古で作ってるほうが僕は楽しいです。悩まなくなったら終わりですからね。人間関係もそうだけど、結局そこをなんとかしたいから想像力で埋めるし。わからないってことを、舞台上で分かろうとすれば、それでいいです。それで結局わからなくても良いんです。「やっぱわからんかったけど、わかろうとした俺はちょっとほめてやるわ、乾杯」みたいな感じで。ラストに皆で誕生日ケーキでも囲んで晴れやかに終わるみたいな芝居じゃなくて、「あぁ、解決しないよね」ってことを手に入れて終わる。それがいいと思っています。


大原、山崎インタビュー 【撮影:交泰】
舞台写真 【撮影:堀川高志(kutowans studio)】


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《京都公演》
上演中~9/26(月)まで
会場:京都芸術センター 講堂

《東京公演》
10/4(火)~10/10(月・祝)
会場:テアトルBONBON

チケット情報はこちら

前の記事「坂口湧久、前内孝文、松村龍之介、山本一慶が語り合うミュージカル『八犬伝―東方八犬異聞―』二章」へ

次の記事「Dステ19th「お気に召すまま」稽古場から その1」へ

カテゴリー

ジャンル

カレンダー

アーカイブ

劇団別ブログ記事

猫のホテル

文学座

モナカ興業

谷賢一(DULL-COLORED POP)

劇団青年座

劇団鹿殺し

 はえぎわ

柿喰う客

ONEOR8

M&Oplaysプロデュース

クロムモリブデン

演劇集団 円

劇団チャリT企画

 表現・さわやか

MONO

パラドックス定数

石原正一ショー

モダンスイマーズ

ベッド&メイキングス

ペンギンプルペイルパイルズ

動物電気

藤田記子(カムカムミニキーナ)

FUKAIPRODUCE羽衣

松居大悟

ろりえ

ハイバイ

ブルドッキングヘッドロック

山の手事情社

江本純子

庭劇団ペニノ

劇団四季

演劇チケットぴあ
劇場別スケジュール
ステージぴあ
劇団 石塚朱莉