呼吸の実感
最近というか、ここ2年の間はまっているのがパイプです。
禁煙したときに一ヶ月もしたら無性にタバコを吸いたくなり、以前から興味本位で集めていたパイプを使ってみようと思ったのがきっかけ。
京都に専門店があり、一からやり方を教えてもらって、今では歴としたパイプスモーカーとなりました。
以来、一週間に一度その店に行って葉っぱの話やパイプのメンテナンスの相談をしたりするのが最大の楽しみとなっています。
店でのおしゃべりは、パイプ以外の内容としては、最近はほぼ二つにしぼられます。
一つは喫煙者迫害についての店主の嘆き。
もう一つは、私の素性がばれているので、演劇の仕事についての質問。
この二つは似て非なる話題のようでいて、実は共通項があり、とても興味深いのです。
昨今の禁煙ブームは喫煙者へのもはや差別的処遇にまでエスカレートしていますが、禁煙推進の根拠になっているのが健康論です。
タバコをすえば健康を害する、という正義です。
店主(意外にも女性で、この店の人気の秘密はこの人の存在だということを付け加えておきます)は、タバコをすうことが必ずしも健康を害する訳ではないと論をはります。
そして、自動車の排気ガスの方がよっぽど健康を害すると言います。
私はこの論法ににやりとしています。
それはタバコの害と排気ガスの害を比較している時点で健康論にのまれていると気づくからです。
人は果たして健康を目的に生きているのか。
生まれた瞬間に死に向かっているのだとすればその過程が長かろうが短かろうが結果は同じ事だと思うのです。
ここでタバコの害と演劇の害について考えてみましょう。
演劇がよりわかりやすくやさしく人々に影響を及ぼすなんてことはありません。
タバコと同じように、無縁であるにこした事はないのです。
ここで誤解を恐れずに言いましょう。タバコを吸おうが吸わなかろうが人は死に向かいます。
演劇を見ようが見なかろうが、もちろん人は死んでいきます。
人間は健康ではいられないからこそ毒を必要とします。
毒を味わえばより死を悟る事ができます。
私にとって一週間に一度のタバコ屋通いは毒を確認するために通っているようなものなのです。
が、ここではっきりさせておきたいことはそれでもタバコはそんなに強烈な毒ではないということです。
今の日本における演劇がそんなに毒にはならないように。
さて、せっかくなのでもう少しパイプの魅力について語ってみようか。
一つには時間。
紙タバコをやる人は分かると思うけど、あれは3分とか2分とかでリセットする。
パイプは30分、40分と吸うので時間を切れない。
途中でやめても、後で火をつければまた吸える。
そんなに味も変わらない。
つまり時間をリセットせず、記憶する。
ずっとつづいている。
ひたすら生きるようにひたすら吸う。
ずっと吸っていると、ときどき吸っている事を忘れることがあって、ふと、「あ、今吸ってた」、言い換えると「あ、今呼吸してた」と思う。
人は呼吸しなければ生きていけないということをパイプを吸いながら自覚する。
まあ、そこまで無心に吸えるようなことは一週間に一回あればいいほう。
でも人は一週間に一度「俺、生きてる」って思うだろうか。
そういう意味では、パイプは生を自覚するための最高の小道具だと思う。
あとはお国柄。
外国旅行してふと食べたピザがうまかったこととかあるでしょ。
ドイツ人はこういう葉っぱつくるんだ、やっぱイギリスは質実剛健だな、日本のキセルはこう来るか、といったことを楽しむ。
毎日が外国旅行。
それがパイプの魅力。
それ以外になにもない。
F/T12『光のない。』
作:エルフリーデ・イェリネク
演出:三浦 基(地点) 音楽監督:三輪眞弘
11月16日(金)~11月18日(日) 東京芸術劇場 プレイハウス
チケット:指定席
一般前売 7,000円(イェリネク戯曲集付・限定枚数)、
4,500円(戯曲集なし)(当日 +500円)
学生 3,000円/高校生以下 1,000円(前売・当日共通、当日受付にて要学生証提示)
http://festival-tokyo.jp/program/12/kein_licht/