11/10(土)よりKAAT神奈川芸術劇場で上演される「マダムバタフライX」について、神奈川芸術プレス10、11月号に掲載される演出の宮本亜門さんと嘉目真木子さんの対談内容が届きました!!
上演前に是非チェックを~
以下、神奈川芸術プレス10、11月号より
CREATOR'S VOICE 127
嘉目真木子
Makiko Yoshime ソプラノ
対談 宮本亜門×嘉目真木子
ネオ・オペラ マダムバタフライX~プッチーニのオペラ「蝶々夫人」より
「オペラ」をテーマとした今年の「神奈川国際芸術フェスティバル」のフィナーレとして、
宮本亜門演出の新作「マダムバタフライX」がKAAT神奈川芸術劇場で上演される。
プッチーニのオペラ「蝶々夫人」をもとに、ジャンルを超えた「ネオ・オペラ」として、
あらためてその魅力を探るという。ヒロイン役を演じるのは、
次代を担うオペラ歌手として注目を集めている嘉目真木子。
音楽ジャーナリストの林田直樹氏をナビゲーターに、演出家の宮本亜門と語り合ってもらった。
対話のある現場をめざして――
亜門 ■ 嘉目さんとは、昨年の4月、二期会『フィガロの結婚』でご一緒して以来ですね。初めて稽古場で嘉目さんを聴いたとき、なんていい声なんだろうと感激したんです。力があって、いろいろな表現ができる声。スザンナの難しい感情表現を見事に声で実現されていると感じました。演技も稽古を重ねるうちにみるみる変わっていって、びっくりしたんです。
林田 ■ あのスザンナはすばらしかったですね。今年7月には二期会の『パリアッチ(道化師)』の練習と本番を拝見したんですが、声もさることながら、女優のような立ち姿と身のこなしに見とれました。
嘉目 ■ ありがとうございます。これからもお褒めいただけるように、歌だけでなく演技もしっかり勉強していきたいと思っています。芝居が好きで、よく観に行くのです
が、個人プレーで見せる芝居よりも、出演者たちが一丸となってコンセプトを実現させているような舞台を見ると、ああいいな、役者さんたちも楽しそうだなと思います。
林田 ■ いまのお話を聞いて、あるプロデューサーが「オペラは対話でなければならない」と言っていたのを思い出しました。演劇もオペラも本来は、作品と演奏者の、舞台と観客、そして出演者同士の対話であるべきですよね。
嘉目 ■ 本当にそう思います。オペラの役作りも、相手役や共演者に合わせて変わってくると思うんです。例えば「ドンナ・エルヴィーラとはこういう女性だ」という自分なりのイメージがあったとしても、実際に稽古が始まると、全体のなかの自分の役割に応じて、求められる解釈が変わってくることがあります。ですから自分なりのイメージを持ちつつ、チームプレーの一員として、ニュートラルに、柔軟に対応できる部分を作っておく必要があると思っています。
亜門 ■ それはすばらしい。対話といえば、演出家と歌手のみなさんの対話も非常に大切です。僕はオペラの稽古場で、もっとみなさんとアイディアや意見を自由に出し合い、エネルギーをぶつけ合って、"一丸となって"舞台を作っていきたいと思っているんです。今回の「マダムバタフライX」でも、ぜひ嘉目さんのバタフライ像を僕にぶつけてきていただけると嬉しいです。
現代から見た「蝶々夫人」――
林田 ■ 「マダムバタフライX」については亜門さんからうかがうとして、まずはプッチーニが描いた「蝶々さん」という女性像について、嘉目さんからお話しいただけ
ますか。
嘉目 ■ 一途に愛を貫いた純真な女性、というのが一般的な蝶々さんのイメージですよね。たしかにそうなのですが、私は、蝶々さんが子どもを残して死を選んだことに、ちょっと違和感を覚えてしまいます。いろいろな資料を読むと、プッチーニは女性信仰の強い人だったそうなので、プッチーニ自身の理想像が投影されているのかなと思います。
亜門 ■ 調べると、原作の小説からプッチーニがオペラを作曲する過程で、蝶々さんという女性は、どんどん男性目線で描かれていったような気がするんです。人形のように可愛らしく従順に"耐える女性"に仕立てられていった。しかもそれは、「日本に来たことのない外国人から見た」という条件付きの"理想の日本人女性像"であったような気がします。 僕は、プッチーニの音楽自体が男性目線だと思うんですよ。あまりにもいとおしく甘美なメロディだから、蝶々さんが美化されて、おっしゃったような身勝手さも前面に出てこない。
林田 ■ このオペラに対するストレートな反応として、「蝶々さんはかわいそう」「ピンカートンはひどい男だ」というのがあると思いますが、「かわいそう」と思ってしまうことで、もしかすると、本当の蝶々さんを見失っているかもしれない、と思ったりするんです。
亜門 ■ 「かわいそう」という感情は、「対等な関係」ではないですよね。ある種の差別が含まれているともいえます。このオペラは情緒的に受け止められているところがあるので、今回、客観性をもってみることができるといいなと模索しているところです。 演出プランはこれからの稽古でまだまだ変わっていきますが、いま考えているのは、舞台で6人の歌手を中心とするオペラ「蝶々夫人」が演じられていて、そのまわりではスタッフがコンピュータを操作したり映像処理したりするようにして現代人の視点を入れます。蝶々さんを演じるのは生身の女性で、彼女が舞台の上で蝶々さんに作り上げられていく過程も見せたいと思っています。
林田 ■ 蝶々さんが誰かに作り上げられたものだ、という見せ方をする、ということでしょうか。想像すると、あたかも蝶々さんが操られているように見えてくる気がします。
亜門 ■ 操られることで浮かび上がるものも見てみたいと思います。「マダムバタフライX」によって、「蝶々夫人」があの時代の生んだ大悲劇であることを、現代を通して描けるといいなと思っているんです。他に行き場のない、ギリギリに追い詰められた状況で、なんとか生きよう、信じようとする15歳の女性、という蝶々さんの基本的な設定はそのまま踏襲するつもりです。そのうえで、蝶々さんがどう見えるか―それは、観る方々そ
れぞれに委ねたい。これまでとちょっと違う視点でヒロインを観てもらえるのではないかと思っています。
嘉目 ■ たまに「蝶々さんはなぜ3年も待っていたの?馬鹿みたい...」と思われてしまうような舞台がありますが、演じる側として、それは嫌だなと思うんです。ピンカートンは結果的にひどい男だったかもしれませんが、蝶々さんにとっては素敵で誠実な男性だったと思いたい。そうでなければ一途に信じて、待ち続けるわけがないと思うのです。少なくとも、蝶々さんと愛を誓い合う二重唱の瞬間は、二人の間に真実の愛があったと信じたいです。 お話をうかがって、どのような舞台になるのか、稽古が楽しみになってきました。精一杯がんばりますので、よろしくお願いいたします。
ナビゲーター 林田直樹(音楽ジャーナリスト)
構成 荒井惠理子
写真 大野純一