お久しぶりです。
現在、M&Oplays+PPPPプロデュース『窓』の稽古中。
この『M&Oplays+PPPPプロデュース』というのは、森崎事務所という舞台制作会社とペンギンプルペイルパイルズの共同プロデュース公演で、同企画は2007年の『ワンマン・ショー(再演)』に続いてこれで2回目。
「倉持裕の作・演出で、ペンギンプルペイルパイルズの役者も全員出演するが、他に豪華なゲストも呼んで、劇団公演よりは予算をかけて、もうちょっと派手な芝居を作りましょうよ」
というのが、どこに明文化されているわけではないが、だいたいの企画意図である。
(いや、各方面に配布されている企画書にはちゃんと説明されているのかもしれない。しかしそれを作成するのはプロデューサーで、僕はよく知らないのだ)
さて、今回のこの『窓』という作品だが、端的に言ってしまえば愛憎劇である。
それぞれ何らかの逃避行動として、とある避暑地に集まって来た人々が、
有り余る時間になんとか目的を見出そうと、一人の女を祀り上げ、半ば自発的に彼女に振り回される日々を送るという......。
つまり、ツルゲーネフの「初恋」とか谷崎の「痴人の愛」とかサガンの「悲しみよこんにちは」などに代表される、古今東西を問わず作家がモチーフにして来た"小悪魔もの"である。
......と思いながら本を書き上げ、今日で約2週間稽古してきたわけだが、
よくよく考えてみると、サガンの「悲しみよこんにちは」の主人公の娘は、
「初恋」や「痴人の愛」に登場する美女のように複数の男たちを手玉に取る"小悪魔"というのとはちょっと違う。
ではどうして並べて捉えていたのだろうか。
考えられるのは、陳腐な表現だが、「女は怖い」と感じられる点で共通するということだ。
「女は怖い」......これが作家でなければ、どこかの女に痛い目にあったとしても、男友達相手に飲みつつそんなセリフをぼやいて終わりにも出来るのだが、先に「陳腐」と言った通り、それでは表現として成り立たない。
作家を名乗ってしまったからには「男にとって女の何が怖いのか」という問題を深く追求すべきである。
ということで、執筆が終わった今もなお、今度は演出家の立場で女について考えてばかりいるわけだが、
ノーマルな男としてはその妄想に近い想像は単純に愉しくも、やはり知らないと言えばさっぱり知らない対象を掴まえようともがくことは苦しい。
異性だからこそ知りえる本質がある......などともっともらしいことを言って自分を励ましつつ、今日も稽古に励むのである。
と、こんなところで作・演出家の退屈な事情はやめにして、
次回からは出演者について書いてみることにする。
また。
M&Oplays+PPPPプロデュース『窓』 チケット情報
M&Oplays+PPPPプロデュース『窓』 倉持裕 プロフィール