7月2日、銀座・博品館劇場でミュージカル『BLUE RAIN』が開幕した。1日にはPARCO劇場で三谷幸喜の『大地』が開幕するなど、コロナ禍の公演自粛を経て再始動し始めている演劇界だが、ミュージカルでは本作が再開第一号。出演は吉野圭吾、水夏希、佐賀龍彦(東山光明とのダブルキャスト)、木内健人、池田有希子、今井清隆。演出は荻田浩一。入場時の検温・消毒、さらに入退場時の混雑を避けるため、座席位置に準じ時間を区切ったりと最大限に感染症対策を講じた上での開場だったが、事前告知もあったためか混乱はなく、無事、開幕した。
前日の激しい雨はどこへやら、からりと晴れあがった空の下での初日となったが、一歩客席に足を踏み入れると、青い水の底に沈んだような世界が広がる。舞台上には、少し汚しの入った透明なアクリル板やビニールシート。飛沫感染対策を組み込んだセットだが、雨に濡れたガラスのような、あるいは水槽の壁面のようなそれは、それだけで美しい。客席内も、ひとつ置きに間隔をあけた座席に加え、席と席のあいだにはパーテーションもしつらえられている。ビニールの仕切りが立ち並ぶ客席は、今まで劇場で見たことのない光景ではあるが......これが奇妙に舞台美術とリンクし、観る側も、水槽の中に沈んだかのような錯覚に陥る。客席の仕切りはおそらく舞台セットとは関係なく用意されたものであろう、だが劇場とは不思議な効果が生まれるものだ、と、こんなところから"劇場の力"を認識する。
作品は、日本でも『SMOKE』がスマッシュヒットした韓国の気鋭の作家コンビ、チュ・ジョンファ(作演出)&ホ・スヒョン(音楽)が2018年に制作したもの。日本ではこれが初演となる。ドストエフスキーの名作『カラマーゾフの兄弟』をベースに舞台を1990年後半のアメリカ西部に移し変え、強欲な富豪・ジョンが殺害された事件の真相をたどっていくミステリー仕立てのストーリー。その中で、家族間での猜疑心や愛憎の葛藤、神と悪魔の存在についての問い、傷を負った人間たちの孤独などを複層的に描き出す。ジョンファ氏の描く作品は人間が心の奥底に抱く感情を深く抉ることから"ハマる"と称されることが多いが、本作もやはり、人間の根源的在り方を問うような奥深さと熱がある。スヒョン氏の美しく哀愁ある音楽と相まって、中毒性の高そうなミュージカルだ。
6人のキャストも、それぞれが熱演。犯人と目される長男テオを演じるのは吉野圭吾。粗暴であるが情に深く、誰よりも傷つきやすい繊細な青年を、激しくも切ない叫びの中で作り出している。その恋人であるクラブ歌手・ヘイドンを演じるのは水夏希。こちらもひとりでは立っていられなさそうな寂し気な女性像が切ない。吉野と水の"大人カップル"が、大人であるがゆえのピュアな愛を丁寧に描き出していて、魅力的だ。ふたりの歌うテーマ曲「ブルーレイン」も美しく心に沁みる。テオとは母親違いの弟で、優秀な弁護士であるルークは佐賀龍彦と東山光明のダブルキャスト。初日の公演は佐賀だったが、弁護士らしく論理的・理性的であろうとしながら、だんだんと混乱していくルークを、時に持ち味である美声をゆがませながら熱演。一方で東山は(※前日のゲネプロで観劇)、すっとした立ち姿に切れ者弁護士らしい説得力がありながら、感情の起伏が激しくいらだちも隠さない役作りで、父や兄と同じ血が流れていることを強く感じさせるルークだ。使用人サイラスを演じる木内健人は、後半のソロナンバーからの爆発が圧巻。この人のくせのない綺麗な歌声が、いっそう悲しみを増幅させる。家政婦エマを演じる池田有希子は、持ち味であるポジティブさと懐の深さがマッチし、作品の良心をしっかり描き出した。そして誰からも憎まれる一家の主・ジョンは今井清隆。感情を揺らしぶつける若者たちに対し、誰よりも響く、びくともしない歌声で対抗。どっしりと作品を貫いた今井の存在なくしては、この作品の成功はなかっただろう。その今井ジョンの"血"に囚われ、父と似たところを自分の中に見つけてはおびえ、そこから逃げようともがく息子たちの姿は、つまりは過去のしがらみを乗り越えようと戦う人間の姿だ。闇にもがき、その戦いにやぶれてしまう人もいるが、最後に少し見える光が、ことのほか明るくあたたかく感じられる。
また、冒頭に述べた、透明の仕切りを効果的に使った舞台美術は、"withコロナ"の時代に即したセットであることは間違いない。実際、俳優が向き合って怒鳴りあうシーンなどは必ず間にこのセットが挟まれ、飛沫感染リスクに気を遣っているのであろうことがわかる。ただ実は、物語が進むにつれ、このセットの意図や、使い方の巧みさすら、あまり意識しなくなっていった。作中、登場人物が水槽の中にいる魚を見て、雨が降っていても水の中は関係なく自由だと彼らをうらやむシーンがある。アクリル板を挟み、どちらが中でどちらが外なのか? 水槽の中に入れられ観察されているのは一体誰なのか? そして水槽の中と外、どちらが自由なのか? ......透明な仕切りを挟み感情をぶつけあう彼らの姿に、そんなことに思いを馳せる、純粋なる演劇体験が味わえた。それは繊細な表現に定評のある荻田の演出の力と、キャスト陣の魂からの演技ゆえだろう。
初日の公演は、本来の客席からすれば半数の人数とは思えない観客の、大きな、とても大きな拍手の中、終了。この日はカーテンコールでキャストからの挨拶も。「開演前の注意事項のアナウンスが長くて、こんなにお客さまにご協力をいただかなくてはいけない状況になってしまったんだなと思うと胸がいっぱい。でもこうやって公演にこぎつけたこと、本当に感謝しています」(池田)、「皆さまがいらっしゃるからこそ、私たちは舞台ができる」(水)、「これが新しい舞台、ミュージカルのスタートになることを心から祈っています」(佐賀)、「劇場やスタッフが、できるだけの対策をとって、上演に向けて務めてくれた。なぜ舞台をやりたいかというと、皆さんの喜ぶ顔が見たいから。全員そういう思いでやっています。まだ先はどうなるかわからない状況なので一回一回、死ぬ気でやります」(吉野)等々、みな、感無量の面持ちで、舞台を上演できることの喜びと感謝を語った。「新しい生活様式」を求められている今、舞台芸術も今までとは違う上演形態が求められている。正直なところ「新しい演劇様式」とは何なのか、どういったものが正解なのかはわからない。誰もが手探りでそれを探している最中だろう。ただ、それでも劇場で作品を上演したい、劇場で観劇をしたいという人々の思いが結集して、大きな混乱もなく、この日の幕は開いた。来場客は客席やロビーでの会話も控え、とても静かな空間だった。その静謐さの中にこそ、演劇を愛する人々の熱い思いが感じ取れた一夜だった。
東京公演は7月12日(日)まで、博品館劇場にて。7月22日(水)には大阪・シアタードラマシティでも上演されるほか、オンラインでは実際の開演時間と同タイミングでのライブ配信(Wキャスト両名の初日・楽日/詳細は公式HP:http://g-atlas.jp/bluedramatico/)、収録配信もある。いずれもチケットは発売中。
(取材・文:平野祥恵)