現代劇に初挑戦する歌舞伎役者・尾上右近さんへの密着企画の第3回目。いよいよ始まった稽古初日の右近さんの姿をお届けする。
△台本読み合わせの様子
その前に、ストーリーをおさらいしてみよう。第3回目は、右近さん演じるエリオットの実母が管理するサイトに集うウィルスキーを中心に紹介。物語がさらに興味深くなるはずだ。
■STORY■
ウィルスキー(鈴木壮麻)は、アフリカ系米国人でロスアンゼルスに住む国税局の職員。[あみだクジ]というハンドルネームで、ドラッグ依存から抜け出そうとしている人々が集うサイトに入っている。コカイン中毒に陥ってからというもの、息子とは10年会っていない。同じサイトの住人である[オランウータン]ことマデリーン(村川絵梨)との語らいがその孤独を救っている。新参者の[ミネラルウォーター]ことジョン(葛山信吾)にはその恵まれた境遇ゆえに警戒心を持っているが、サイトの管理人である[俳句ママ]ことオデッサ(篠井英介)になだめられたりしている。自身もコカイン中毒の過去を持つオデッサは、そのとき娘を死なせてしまっていた。生き残った息子のエリオット(尾上右近)は伯母に育てられ、イラク戦争で足を負傷して帰還していた。その育ての母が亡くなり、エリオットが従姉のヤズミン(南沢奈央)とともにオデッサを訪ねたことをきっかけに、サイトの住人たちにもリアルな世界での変化が起き、ウィルスキーも思わぬ行動を起こすことになる。
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顔合わせ&本読みレポート
6月初旬。稽古の初日は、キャストとスタッフが揃う顔合わせと、本読みが行われた。右近さんが挑む『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』は、2012年にピューリッツァー賞戯曲部門を受賞し、これが日本初上演となる作品だ。初めて触れる世界であるという点では、全員が同じように緊張感を持って稽古場に臨んでいるように感じられる。なかでも、現代劇の稽古という場に初めて足を踏み入れる右近さんのそれは、人一倍ではなかっただろうか。それでも、その挨拶は堂々たるもの。上演台本と演出を手がけるG2さんが「これまでミュージカルの翻訳はやってきましたが、ストレートプレイを翻訳したのは生まれて初めてです。新人ですのでよろしくお願いします」と笑わせたあと、それを受けて「僕こそ新人です」と語り始めた右近さん。「何もわからないことばかりなので、みなさんに教えていただけたらと思います。歌舞伎の初舞台を踏んでから19年。19年目の新人です。G2さんをはじめみなさまのお力をお借りして、生き恥をさらしながらいいお芝居をさせていただけたらと思っています」という言葉に、まさに今の自分のすべてを注ぎ込もうとする熱意が表れる。
続いて、実母のオデッサを演じる篠井英介さん、
△篠井英介さん
従姉のヤズミン役の南沢奈央さん、
△南沢奈央さん
オデッサが管理する薬物依存のサイトの住人であるジョン役の葛山信吾さん、
△葛山信吾さん
ウィルスキー役の鈴木壮麻さん、
△鈴木壮馬さん
マデリーン役の村川絵梨さん、
△村川絵梨さん
そして、亡霊をはじめ何役も演じる陰山泰さんが、
△陰山泰さん
それぞれユーモアを交えながら挨拶。
G2さんと何度か仕事している人も、しっかりキャリアを積んできた人も、一様に、"わからないところはみんなで探りながら作っていきたい"という思いをのぞかせる。聞いている右近さんの表情もどんどんほぐれていく。休憩中には、一緒の場面が多い南沢さんに自ら声をかける右近さんの姿があった。
休憩後、「今日はあえて解説せず、止めることもしないで読んでもらおうと思います」というG2さんの言葉から、本読みが始まった。G2さんには、理屈で考えたものではなく、稽古を重ねることで見えてくるものを大事にしたいという思いがあるようだ。イラク戦争、薬物中毒、ネット社会と、題材になっているのは社会的なテーマではあるが、登場人物がそれを大仰に語ることはない。それぞれに自分の思いや問題を語っているだけである。「なのに、最後には明日への勇気が湧いてくるのはなぜなのか。それぞれが台詞を交わしていくことで、見つかるのではないか」というわけだ。ただしひとつだけと、日本では馴染みのないコカインについての解説をしたG2さん。快楽物質であるドーパミンが、普通時を100とするならば、コカインを使用すると350になるという。中毒性が想像できる。
しかし、キャストが台詞を口にしはじめると、その深刻さよりも、G2さんの言葉通り、明るい希望のようなもののほうが強く浮かび上がる。きっとそれは、ここから抜け出したい、変わりたいという熱望が根底にあることを、役者たちが感じさせてくれるからだ。ことに右近さんが、エリオットというひとりの若者として発する台詞は、何とも軽やかで心地よい。イラク戦争で負傷していても、実母にネグレクトを受けて育っていても、とにかく生きようとしていることが伝わってくるのだ。印象的だったのは第一声の透き通った響き。そこにはもちろん、歌舞伎で培われた発声も活かされているはずだ。その技術と等身大でぶつかっていく演技が、どんなエリオットを、どんな希望の世界を作り上げるのか。楽しみが増してきた。
取材・文 大内弓子
撮影:イシイノブミ