■劇団四季創立60周年 特別連載■
劇団四季創立60周年記念公演のひとつ、『この生命誰のもの』が1月20日より東京・自由劇場で上演されている。"生の自己決定"をテーマにした社会派ドラマ。初演は1979年だが、現代にこそより深く突き刺さるシリアスな内容で、観客に強く問題提起を投げかけるとともに、演劇的にも見どころに満ちたものとなっている。
舞台は病院の一室。ベッドに横たわり、快活に看護師らと会話を交わす男性・早田健は、しかし交通事故により脊髄を損傷し、全身麻痺で首から上しか動かすことができない。彫刻家である彼は、創作活動を奪われ話すことしかできない人生を苦痛とし、自ら「死」を選ぶことを考える。当然のことながら主治医である江間博士は医師の務めは患者を生かすこととし、「医の倫理」から彼の希望を退ける。すると早田は弁護士を雇い、「あらん限りの尊厳を保ちながら死ぬこと」を主張、退院をすること――それは死を意味する――を病院側に求める。病院は早田が自己の後遺症で抑うつ状態にあり、理性的な判断が下せないと主張。精神衛生法(1950年制定)に訴え、病院に拘束し延命治療を行おうとする病院側、それに対し人身保護法に訴える早田側と意見が対立。早田の「死ぬ権利」をめぐり、病院で異例の裁判が行われる......。
医学が進歩し、「尊厳死」の問題が身近なものとなっている現代。昨年は尊厳死の法制化の法案の国会提出をめぐり大いに話題になった。今後もさらに議論が重ねられていくであろう現代的問題を、改めて考えさせられる舞台だ。興味深いのが、早田の死をめぐり、患者、弁護士、医師、また医師の中でも意見が割れ、激しく対立していくが、誰も悪意はないということ。皆が己の倫理観に基づき、信念を持ってこの問題に向き合っている。難しい問題であるが、誰の身にも起こりうる問題であり、そして社会全体で向き合わなければいけない問題であることを、この物語は訴えている。
また、演劇としてもハイレベルな作品だ。主人公・早田は前述のとおり首から下は全身麻痺。つまり俳優は身体の演技を封じられていることになる。クローズアップが出来る映像とは異なり、舞台ではこれはかなりのハンディであろう。早田を演じるのは、劇団のベテラン俳優、味方隆司。味方は、表情と声だけを武器に、悲劇的な状況に陥りながらも理性的で論理的な会話で自らの主張をしていく男を、大げさすぎず飄々と演じている。その他のキャストも、劇団四季のストレートプレイに欠かせないベテランが揃った。大作ミュージカルの印象が強い劇団四季だが、創立当初はフランス劇の上演を目的に結成された。そんな劇団の、ストレートプレイに対する意識の高さも伝わってくる充実の布陣だ。
どういう結論が出てもおかしくはない問題であり、物語としては答えを観客の判断に委ねるという形もあったであろう。しかしこの作品では明確な結論が提示される。その答えはある意味衝撃的だが、それを受けて自分が早田の立場だったら、医師の立場だったら、または患者の家族の立場だったらどうするか...さらに議論が展開しそうな奥深い作品である。
公演は2月3日(日)まで。チケットは現在発売中。