『That Face―その顔―』翻訳裏話
五年ほど前から数年の間、新国立劇場内に「現代戯曲研究会」という研究会があった。イギリス、フランス、ドイツの専門家がそれぞれ交代で、「今、向こうではこういう戯曲が受けてますよ」という最新の戯曲を紹介していく会だ。しばらくして、ある共通の傾向として「イン・ヤー・フェイス(In-yer-face)」というコンセプトが毎回話題になるようになった。英語で「人の面前で、面と向かって」という意味の熟語を砕けた(乱暴な)言い方にしたものだが、この作風は一九九五年に『BLASTED』という戯曲で衝撃のデビューをして四年後に二七歳で衝撃の自殺を遂げたイギリスの女性劇作家サラ・ケインに代表される。文字通り観客の面前に目を覆いたくなるようなエロ、グロ、バイオレンスのタブーを見せつけるような芝居のことだ。
英、仏、独とも、新しい劇作家が出てくると、たいていこの「イン・ヤー・フェイス」の影響を受けた作家、と紹介されることになる。かつて、一九五〇年代に「怒れる若者」のオズボーンや「不条理劇」のベケットや「叙事演劇」のブレヒトらがヨーロッパ演劇(そして世界の演劇)を席巻して以来、その後現れた作家は皆少なからず彼らの影響を受けた、と言われるのと同じことである。
「イン・ヤー・フェイス」の芝居は、正直言って、見ていて(読んでいるだけで)辛い。心に痛いものが刺さってくる。何もそこまで、というようなタブーの描写は、続けて読んでいると食傷してくる。とは言え、演劇はハムレットも言うように、時代を映す鏡なのだから、これは演劇の問題と言うより現代社会の問題なのだろう。
プロフィール
小田島恒志・・・早稲田大学文学学術院教授、翻訳家。95年度湯浅芳子賞受賞。
主な翻訳作品『GHETTO/ゲットー』『エヴァ、帰りのない旅』『ニュルンベルク裁判』『コミック・ポテンシャル』『コペンハーゲン』
小田島則子...大学講師、翻訳家。
主な訳書『クマのプーさんの魔法の知恵」『クマのプーさん心のなぞなぞ』『ファットレディス・クラブ、5人の仲良し妊婦物語』『ノディのおくりもの』