1963年の日本初演以降、日本におけるミュージカルの礎として、数多のスターにより演じられてきた『マイ・フェア・レディ』。2013年から演出を担当するG2のもと、今回は、朝夏まなと・寺脇康文コンビと、神田沙也加・別所哲也コンビという固定のダブルキャストによる上演で話題だ。9月15日(朝夏・寺脇)に続き、翌16日(神田・別所)に、東京・東急シアターオーブで行われたゲネプロの様子をお届けする。
冒頭、花売り娘のイライザ(神田)が、ロンドンの街角でヒギンズ教授(別所)と出会うシーン。小柄な身体からべらんめぇ口調を繰り出し、上流階級であるヒギンズに一歩も譲らない神田イライザは、エネルギッシュだが粗野でもある。
しかし、憧れの生活を思って歌うナンバー『だったらいいな』が始まると、その伸びやかで温かな歌声から、イライザが本来持っている素直さ、心根の優しさがはっきりと伝わってくる。いまや押しも押されもせぬミュージカルスターに成長した、神田ならではのシーンだ。
今回、ヒギンズ教授役に初挑戦の別所は、上流階級に育ち、なんの疑問もなく言語学者になった "坊ちゃん"のヒギンズ像を体現。女性にはトーヘンボクと言われそうな言動も、恵まれた境遇からくる他意のなさなのだろうと思わされる。
そんな2人が展開するレッスンシーンは、楽しいのひと言だ。下町なまりゆえに「帰る」を「けえる」、「入る」を「へえる」と言ってしまうことに気づかず、自信満々の笑顔を見せる神田イライザが、なんともキュート。意図がなかなか伝わらずにジタバタする別所ヒギンズとのやりとりには、客席も笑いの連続だ。
前回に述べた、レッスンに協力するピッカリング大佐(相島一之)や、イライザの父ドゥーリトル(今井清隆)の、人生の厚みを感じさせるたたずまいは、神田・別所コンビでも健在。それはヒギンズの母役の前田美波里、家政婦ピアス夫人役の春風ひとみも同様だ。例えば、イライザが初めてヒギンズ邸にやってきたとき、こざっぱりとした服に着替え、顔も手も洗ってきたと言っていた。他者への心遣いを礼儀というのなら、イライザはちゃんと礼儀の"芽"を持っている女の子で、その後も折々に感じられるイライザの心根を、ヒギンズの母もピアス夫人も見逃さなかったのだろう。
単に言葉遣いを直し、着飾っただけでは淑女にはなれない。イライザには"芽"があり、自分で考え行動する心があったからこそ、本物の淑女になれたのだ。短いセリフとさりげない所作でイライザへの想いを示す前田と春風の演技が、舞台を引き締める。
その他、上流階級の青年ながら、生き生きとしたイライザに恋をするフレディ役に、平方元基。毎日ヒギンズ邸の前に立ち、何通ものラブレターを送り......といえば、今ならストーカー認定されそうだが、平方の豊かな歌声と優しさがにじむたたずまいによって、嫌味のない古き良き時代の青年像となった。
ゲネプロに先だち行われた会見では、朝夏と寺脇、神田と別所の両コンビが登場。今回が宝塚を退団後、"女優"としては初舞台となる朝夏は、「共演の皆さんとお芝居をする中で、いろいろな発見がありました。前半はガサツだけれど後半はレディになるように、イライザの変化がはっきりと伝わるように演じたい」と抱負を語った。
一方、イライザ役がずっと憧れだったという神田は、「毎日(お稽古で)歌って、芝居して......もう全部が幸せ」と感無量の様子。続けて「イライザはいつも目の前のことに一生懸命。知性を得て、元々持っていた魅力が最後に花開くさまを、奇をてらわずに表現できれば」と話した。
3人の中で唯一続投の寺脇は、「3回目(のヒギンズ役)ということで、怖いのは自分の芝居をなぞってしまうこと。もう一度、新鮮な想いに立ち返りながらセリフに挑もうと思います」ときっぱり。対して、初役となる別所は「歴史ある作品に関わり、その重みと素晴らしさを実感しています」としつつ、「"言葉"へのこだわりが強いヒギンズが、イライザとの出会いで"言葉"の向こう側にあるものを教えられる。そこを僕なりに演じたいですね」と意欲を見せた。
「お客様が入って、実際に観ていただくことで完成する作品。朝夏さんと神田さんという2つの花が舞台でどんな風に咲くのか、ぜひ実際に観ていただきたい」という寺脇の言葉に、朝夏、神田、別所の3人も大きくうなずいた。
取材・文/佐藤さくら 撮影/イシイノブミ