「イキテイイイイイイイイイイ」
秋の空も爽やかな本日
大植さんが明日来日するのです
人が遠くから来ると言うのは
大変嬉しいのであります
しかし
明日来るということはまた帰ります
これだけでも
なにか悲しい響きが
そう
ありますです
通常別れの時はなんて言うのでしょう
「バイバイ」でしょうか
なんか子供くさいです
「またね」でしょうか
軽いですね
「ありがとう」は
これはなんか有りかも
じゃ、「さようなら」
「さようなら」
「さようなら」
なんか心にすっと何かが触れますね
「さようなら」だと
「さようなら」には何かが隠されているきがします
左様ですかって
流れを捉え
左様ならば
流れを受け入れる
まるで
死ぬこと生きることと言っていた
日本人にぴったし
ジーン感動です
しかし
ツイッターはどうでしょうか
ツイッターは発表するがこれは呟きよ
って事ですね
呟きなんだけど公開してますと言う
まさに守りながらも話す感じ
通りで日本人は好きなはず
つまりですね
多分フルスイングではないんですね
石川遼さんではないのです
~しながら
~の感じはツイッターと「左様なら」似てますが
「ツイッター」は自己表現濃度が濃いのに対して
「左様なら」は天命や運命を受け入れる的な人の思い
込められているのです
これはすごい
だから
何って?
左様な別れがあるならば
せめて会ってる時は再会を楽しみ
話しに花咲かせ
体すり合わせたいもんですな
存分に
一期一会ここにあり
140文字語らなくても
思いとはこういうもので
言葉とはこういうものかと
知らされます
死者にかける言葉も
どうやら「さようなら」が適切なのですね
とにかく
「さようなら」
いい言葉ですね
ではまた次のブログまで
ごきげんよう
さようなら