新国立劇場のフルオーディション企画にして「人を思うちから」の第1弾となる三好十郎作『斬られの仙太』が4月6日に開幕する。演出を上村聡史が務め、幕末から明治にかけての激動の時代を百姓、博徒、そして水戸の天狗党の一員として生きた仙太の姿が描き出される。3月中旬に行なわれた稽古の模様をレポートする。
元の戯曲は三好十郎が1934年に発表し、過去には映画化もされた。凶作により年貢の減免を訴えた兄への仕打ちに絶望した仙太が博徒となり、ひょんなことから水戸藩の尊王攘夷派である天狗党の決起に加わり、斬って斬られと数奇な運命を辿っていくさまを描き出す。
6週間ものオーディションを経て出演が決まったのは阿佐ヶ谷スパイダースで活躍する伊達暁、元タカラジェンヌの陽月華ら16名。4時間30分(休憩二回含む)におよぶ本作で彼らは百姓、武士、町人、博徒など80を超える役柄を演じ分ける。
この日は、第一幕の冒頭シーンの全員の動きの確認を行ったのち、第二幕の通し稽古が行われた。第一幕は年貢減免の訴えがしりぞけられた仙太の兄・仙右衛門が百叩きの刑罰を受けるというシーンで幕を開ける。当然だがこの時、仙太の身分は百姓。通りがかりの人々に兄の罪を減じるための署名を求め、地面に頭を擦りつける姿は、まさに地に根を下ろし、土にまみれて生きる百姓そのもの。
一方で、第二幕の仙太は、博徒を経て、水戸藩内で尊王攘夷を掲げる政治集団・天狗党の一員となり、刀を振るっている。シーンごと、身分や立場の違いに合わせて卑屈な感じから自信にあふれた表情、悲痛さ、やりきれなさまで仙太役の伊達は見事に表現。この身分や立場の違い、そしてそれに伴う命の重さの違い――「生きるとは何なのか?」というのは全編を通しての本作のテーマのひとつだ。
武士も百姓も関係ない、"平等"の世の中が来ると信じて天狗党に身を投じた仙太。しかし、党は内部闘争に明け暮れ、そんな現状の中で人を斬ることに疑問と葛藤を抱き始める。そんな仙太が兄・仙右衛門の死の真実を知ってしまうシーンはこの第二幕のハイライトといえる。
仙太とは対照的に、一貫して百姓として生きる段六(瀬口寛之)、天狗党の幹部、仙太の上役として仙太に人を斬ることを命じつつ、仙太と同様に組織の論理に疑問を抱き葛藤する加多(小泉将臣)、戦火のさなかで親を失った子どもたちを引き取り続けるお妙(浅野令子)、男たちの行動に運命を翻弄されていく芸者・お蔦(陽月華)など、それぞれの身分、立場での正義や信念が「命の重さ」、「人はどう生きるべきか?」ということを浮かび上がらせていく。
それぞれの幕で展開する激しい殺陣のシーンも本作の大きな見どころ。かなりの角度のついた八百屋舞台を俳優陣が走り回り、剣を合わせる姿は時代劇の華! 一方でこの傾斜が、登場人物たちの立場や関係性をわかりやすく映し出している。
幕末や天狗党の"悲劇"にまつわる史実、時代劇ならではの聞き慣れない専門的な言葉、さらに複雑に絡み合う人間関係などなど、4時間半におよぶ物語のディティールを完全に理解するのは決して容易ではない。しかし、あくまでも舞台上で展開するのは、運命に抗い、生きる道を切り拓こうとする者たちがぶつかり合う人間ドラマ。予備知識があればより楽しめることは間違いないが、それがなくとも目の前で俳優陣が発する豊かな感情に目と耳を凝らせば、理解すべき物語はきっと入ってくるだろう。
ちなみに劇場公式サイトには手づくりの<『斬られの仙太』ゆるイラスト相関図>もあり、二度挟まる休憩時間、これにざっと目を通しておけばかなり物語がわかりやすくなるはず!
『アルトナの幽閉者』、『炎 アンサンディ』、『ボビー・フィッシャーはパサデナに住んでいる』など数々の名作を世に送り出してきた稀代の演出家・上村聡史の下、みっちりと稽古を積んだ16名の俳優陣が4時間半にわたって発する凄まじいまでの"熱量"! まさに企画のテーマである「人を思うちから」のいまの時代における必要性を感じさせてくれる芝居を期待したい。
『斬られの仙太』は4月6日、開幕。