■2016年版『ミス・サイゴン』 vol.9■
ミュージカル『ミス・サイゴン』が現在、帝国劇場で上演中だ。ベトナム戦争という重くシリアスな史実を背負った作品ながら、エンタテインメントとしての華やかさも併せ持つミュージカル。世界各地で公演され、日本でも1992年以降コンスタントに上演され続けている。大作ミュージカルらしく、プリンシパルキャストはダブル・トリプル制をとっているが、今回も個性豊かな顔ぶれが揃った。キャスト評含め、2016年版『ミス・サイゴン』の感想を記す。

舞台は1970年代ベトナム戦争末期。村が焼かれ、両親を失った17歳の少女キムは、サイゴンの町でナイトクラブを営む男・エンジニアに拾われる。エンジニアやクラブの女たちは、ベトナムを出て自由の国・アメリカで暮らすことを夢見ていた。そんな中で初めて店に出たキムは、アメリカ兵クリスと出会い、恋に落ちる。だがサイゴン陥落の混乱の中、引き裂かれてしまうふたり。3年後、戦争が終わり社会主義国家となったベトナム。クリスとの息子・タムを生んでいたキム、相変わらずアメリカ行きの夢を諦められないエンジニアを中心に、キムの許婚トゥイら、様々な人々の思惑は絡まり、キムの運命はさらに過酷な渦の中に。一方アメリカでは、帰国したクリスがエレンと結婚、しかしいまだ、戦争の悪夢に苦しんでいる。そしてキムが生きていること、息子がいることを知るのだが...。
戦争という極限状態の中で、それでも激しく誰かを愛し、あるいは憎み、また生に執着する生々しい人間の姿を切り取った作品だ。特に新演出になった2012年以降は感情のひだをいっそう繊細に表現、悲しいほどに必死に生きる人々の姿が浮き彫りになった。今回も舞台上に出てくる登場人物すべて、舞台の隅に至るまで全員がリアルに、地に足を付けて生きている。そしてベトナム人もアメリカ人も、等しく傷付いていく。この作品は「戦争は何も生み出しはしない」という人類の反省と、平和への祈りがテーマ。そのことをキャスト全員が深く重く受け止め、覚悟を持って作品に向き合っているのだろう。メインキャラクターがたどるドラマチックな物語に引き込まれながらも、時折視線をはずすと、サイゴンやバンコクの街角で、必死な目をしている人の姿が目に入りハッとする。やはり『ミス・サイゴン』は、ほかのミュージカルとは何か違うのだ。観ているこちら側も、背筋が伸び、彼らが訴えかけることをきちんと受け止めねば、と思う。

とはいえやはりアラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンベルクによる珠玉の楽曲は美しく、悲壮なだけではないミュージカルらしい楽しみももちろんある。逆に、ミュージカルという広く大衆に訴えかける手法の中に描かれるからこそ、シリアスなテーマがストンと素直に心の中に落ちてくるのかもしれない。
















































