新国立劇場が、全キャストをオーディションで選考し、上演するという企画で昨年、コロナ禍により上演が中止となった千葉哲也演出による『反応工程』が、全キャスト・スタッフが再結集して7月12日より上演される。昨年の中止決定前に行われた通し稽古の模様をつづったレポートを再掲する。
『反応工程』は、学徒動員された経験を持つ宮本研が、自らの経験をもとに執筆した作品。終戦間際の九州の軍需工場で働く動員された学生たちや古株の工員らの人間模様が描き出される。
昨年の4月9日に幕を開ける予定だった本作だが、新型コロナウイルスの感染拡大によりまず4月12日までの公演の中止が決定。さらにその後、緊急事態宣言の発出を受け、全日程の中止が発表された。この通し稽古が行われたのは、全日程の中止が発表される前の3月下旬。そのため、まだマスク無しでの稽古だった。先行きの不透明な状況の中でも、キャスト陣14人は約1500通もの応募者の中からオーディションを経て役を勝ちとっただけあって、意気消沈するどころか、高いモチベーションと集中力を持って稽古に臨んでおり、1ステージも無駄にすまいという強い思いが伝わってくる。
もともとは染色工場だったが、現在はロケット砲の推進薬を作っている軍需工場という設定で、工場へとつながる休憩室、仮眠室のあるスペースで展開。奥の柱には「火気厳禁」「生産増強」などと書かれた貼り紙が見える。 戦時中であり、若き学生たちが兵器を作る工場への動員を余儀なくされるという非常事態の中にあって、それでもここで主に描かれるのは、彼らの日常である。若者たちは奇妙なほど明るいテンションで日本の勝利を信じ、仕事に励み、酒を飲み、召集を受けた者にも明るく「おめでとう」という祝福の言葉を送るが、そこにはどこか虚しさが伴う...。
"反応工程"という言葉は、ロケットの推進薬を作るプロセス、原料となる薬品が混ざり合い、化学変化を起こしていく過程のことを指しているが、若き学生たちと昔ながらのベテランの職工たち、経営陣、女学生、憲兵など、立場もこれまで歩んできた道のりも思想も異なる者たちが混ざり合い、影響し合っていくさまこそ、まさに"反応工程"と言える。
もちろん、単なる日常のみが描き出されるわけではない。学生のひとり・影山は軍からの招集を拒んで逃げ出す。同じく学生の田宮は、勤労課の年上の職員・太宰から"禁書"とされているレーニンの著書を渡され、その影響を受けて戦争や正義、国家、そして自分自身に対しての迷いや揺らぎを感じ始める...。
戦時中、しかも終戦間際の特殊な状況を描きつつも、現代を生きる我々に深く問いかけるようなセリフややりとりも劇中、多く見られる。印象的なのが、禁書を持っていた田宮を教師・清原ら大人たちが見咎め、なんとか穏便に事態を収めようとするシーン。清原は「今はこういう時代」であり「国という一つの全体が激しい力でどんどん変っている。......というより、一つの力でぐんぐん前に進んでいる」のであり、そうした状況にあっては、全体の意思や秩序の下で、個人が制約を受けるのはやむをえないと説き、「制約なり規律なりを、むしろ、積極的に受取ってゆく。......つまり、そういった制約の中でこそ自分を生かしてゆこうという、積極的な身構えが必要だと思うんだ」とまで言い放つ。
教師のそんな言葉に激しく反発する田宮だが、彼もまた心の中に激しい葛藤を抱いている。彼に禁書であるレーニンの本を渡した太宰は冷静に「日本は敗ける」と語るが、田宮はその言葉を理屈の上では理解しつつも受け入れられない。「明日を見る」と諭すように語る太宰に対し「今日しかない」と叫ぶ田宮...。
物語が始まるのは1945年8月5日。そこから日々、工程が少しずつ進んでいく様子が描かれるが、芝居を見ている我々は、黒板に書かれた日付を見つつ「あと何日で終戦」と頭の中に浮かべる。だが当然ながら、劇中を生きる彼らは、そんなことは知る由もない。いや、その日が近いことは皆がどこかで感じているのかもしれないが、そんな日が来ることが信じられずに今日を生きている。
それは、いつの日か危機的な事態が収束するであろうことを願い、信じつつも、それがいつになるのか見えずに不安を抱え、大切な人々のことを案じる、いま現在の我々の社会とも重なる。
最終第四幕では、少し時間を置いた戦後が描かれる。第三幕までの数日を生きのび、終戦をまたいだ若者、そして大人たちがどう変化し、戦中の時間をどのように受け止めているのか? 最後までじっくりと見届けてほしい。
『反応工程』は新国立劇場にて7月12日より上演